国会通信 No.215


【95年アクションプログラム自己判定】

 1995/8/14 (第215回 マンデーレポートの要約)


【先週の出来事】            
10日 NetD.第2回オフライン会議
同日 建設政務次官退任(在任407日)

【95年アクションプログラムの自己判定】

1 戦後50年を日本の外交新時代の幕開けの年とするため、
かつて私が座長でさきがけの95年アクションプログラムをまとめた。

● 具体的内容
1) 95年に、日本主催の「平和のための世界サミット」を開催せよ。
2) 95年の8月にわが国の「平和宣言」を制定する。
 その起草は国会に設置する特別委員会で行え。
3) 95年中に「平和のための国民憲章」を制定せよ。
4) 「歴史再発見プロジェクト」を開始せよ。
5) 「個人補償のための基金」を設置せよ。

2 上記のうち部分的にしろ実現の手がかりがついたのは4)、5)のみ。 
後は実現することができなかった。

自・社の立場を折衷した不十分な衆議院決議だけ行われた。
国会からなんのメッセージも出せない最悪の事態は避けられたものの、
外交新時代の始まりを格調高く宣言することなど到底おぼつかない結果。

3 しかし、特に4)の歴史認識の問題は今後とも主張し続けていきたい。
なぜなら、戦争に至る冷静な歴史の因果関係の認識は今後ますます重要になってくる
からである。

私は、21世紀のわが国の市民一人一人が自立し、そして成熟した市民社会を
形成するための不可欠の前提が「戦争歴史の冷静な認識」だと考えている。

1) 対内的 
 まず、軍隊のシビリアンコントロールの失敗の歴史をしっかりと把握
しておかねばならない。自衛隊が海外に派遣されるようになって、
この事はますます重要になった。
また行政改革の基本的テーマは総て戦争の歴史に含まれていると言える。

2) 対外的
失敗の歴史を検証し続けることは、多くの苦痛を伴う作業である。
これを自らに強いることで、自己に厳しいたくましい知性を持った
国として、日本に対する新たな本質的な信頼が生まれてくる。

この信頼関係の醸成から、「アジアの中の日本」として新たな外交関係
を構築できるようになる。
   
3) 相互作業の重要性
 歴史を検証する作業は、交戦国の共同作業で行うのが望ましい。

4 村山総理は、昨年所信表明演説で「歴史資料センター」を作ると提案した。
まだ具体的内容は明らかにはなっていないが、資料収集のみならず、
上記の趣旨に照らして、未来志向的、国際協同的、動態的研究機関でなけれ
ばならない。

また、研究成果を、日本の教育現場のみならず、国際的にフィードバックしていく
システムも作らねばならない。

5 最近 司馬遼太郎の「この国のかたち 四」を読んだ。
そこに私の考えと同じ考えが、的確な表現で展開されていた。
長文になるが引用する。(P184以下)
 
「南方進出作戦ー大東亜戦争の作戦構想ーの真の目的は、
戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。

、、、、その油田地帯にコンパスの心をすえて円をえがけば、
広大な作戦圏になる。、、、それを総称して大東亜共栄圏ととなえました。

(これは)日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。
多分に幻想的であるだけにーリアリズムが希薄なだけにー人を酔わせるものがありました
。

 、、、なにしろいまでもこの幻想を持続している人がいます。
この幻想のもとにそこに参加して生死した数百万の人々の青春も死霊も、浮かばれない、
という気持ちがあるからでしょう。

しかし、自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、
自分が手負いになるのです。大変な勇気がいります。

この勇気こそ死者たちへの魂鎮(たましず)めへの道だと思うしかありません。

あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。
領地をとるつもりはなかったとはいえ、以上に述べた理由で侵略戦争でした。

、、、あの戦争が結果として戦後の東南アジア諸国の独立の触媒をなした、
と言われますが、たしかにそうであっても、
作戦の真意は以上のべたように石油の獲得にあり、
その獲得のために周辺の米英の要塞攻撃をし、
さらには諸方に軍事拠点を置いただけです。

真に植民地を解放するという聖者のような思想から出たものなら、
まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです。」  

【フランス核実験反対抗議集会参加について】

1 私も9月1日から4日までの日程で、タヒチで行われる反対集会に参加します。

2 外務省首脳が「現在外交ルートでフランスに中止要請しているから」との
理由で武村大蔵大臣の参加に懸念を表明しているようだが、それはおかしい。

正式な中止要請をしている外務省を側面から援護する行動なのだから、
むしろ歓迎すべきだろう。
それとも外交については外務省の専売特許だ、
素人は口を出すなとでも言いたいのか。

「外交特権」という名を借りた外務省の独断的なにおいを
ここでも感じてしまう。

パフォーマンスと言われようが、
「存在を示そうと言う思惑が」と取られようが
構わない。
断固行くべきである。