国会通信 No.265
【電脳政治学5】
1996/8/19 (マンデーレポート第265回の要旨)
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【先週の出来事】
●12日:地元事務所で陳情を受けました。
●13日から15日:新盆の方に挨拶回りをしました。
私は3日間で180件、妻は100件、正座して
お線香をあげるために膝小僧は真っ赤になります。
●15日:栃木県戦没者追悼慰霊祭に出席。
●16日:地元回り。
午後上京:10月に出版予定の
「ハンドルネームは北京原人」につき近代文芸社と打ち合わせ。
【電脳政治学 5 】
先日慶応大学で行った講義(「ネットワークと政治の変革」)
を補足しながら、コンピューター・ネットワークが政治に与える
新たな変革の姿を考察しています。今日は、第5回目です。
次回に完結の予定です。(今回は、国会通信72号、電脳政治学第3の
「第6 ネットワークのウィークポイント」を以下のように加筆したうえで
第7ネットワークの犯罪、をつけ加えました。)
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第6 ネットワークのウィークポイント
(1) 未成熟なコミュニケーション手段
ネットワークを人間社会のコミュニケーションと比較すると
電脳政治学1(国会通信69)ですでに触れたように、以下のような
数々の限界性を持っている。
●母集団の確定が困難である。
ネットワークは基本的に出入り自由。
そのために、意思形成の単位(例、国、県、市町村、
あるいは選挙区etc)としての集団構成員の確定が難しい。
●意思形成の時間的仕切が可能か。蒸し返しの問題。
政策提案等の情報が確実に受け手に伝達されているかどうかを、
どのようにして確認することができるか。
自分はそんなこと「聞いていないよー」と抗議する人は後を絶たないだろう。
伝わっているとみなす(伝達の擬制)事がどうしても必要になるのではないか。
●厳密な本人確認が困難である。
賛否の意思を表明しているのが果たして本人であるかどうかの
確認が現段階では難しい。あるいは可能だとしてもコストが
かかりすぎる。
●情報氾濫のなかで情報をどのように検索し、選択し、そして解析
していったらよいのか。
大量に送られてくる情報のなかから、重要なもの、自分に必要なものを
どのようにして選択するのか。
●頻繁なコンセプト・キャッチボールができるか。
意思疎通のためのコミュニケーションには、情報の頻繁な
やりとりが必要になるが、現段階の技術では時間ががかかりすぎる。
●情報伝達は、文字表現が主流。このため文章能力による格差や誤解が生じやすい。
議論の核心にはいる前に、非難中傷合戦になってしまう。建設的な議論が難しくなる。
(2) 情報弱者の存在
経済的・技術的側面での公平性をどう確保するかが民主的な意思形成のために
大変重要である。
1) 経済的な情報弱者対策
→パソコンもまだまだ高価な機械。通信費用も高い。
貧困な人々への普及をどう考えるのか。
2) 技術的な情報弱者対策
→各種障害によってネットワークの利用から遠ざけられている人たちをどうするか。
ディスアビリティーの人々への総合的な対策を講じる必要性。
(3) 国際障壁
1) 国際的な通信環境を整える必要性。そのための国際機構作りを。
世界の通信環境は、国家間の様々な利害が錯綜して、バラバラである。
世界の通信基盤についての共通インフラ整備に早急に着手すべきである。
2) 国際機構の理念は「情報に国境なし」「情報の世界に王様はいらない」の
二つと考えるべきである。
3) また、わが国の国際的な情報政策の基本理念を
情報先進国による「情報覇権主義」に対しても、また
情報後進国による「情報孤立主義」に対しても、いづれも戦うべきである。
4) 世界の情報交流の障害となる「言語の壁」を解消するプロジェクトを起こし、
国際的なリーダーシップを取るべきである。(自動翻訳や同時通訳システム)
5) わが国の、通信料金の国際価格差の解消
(4) 不安定なセキュリティ=新しいタイプの犯罪
・ハッカー・クラッカー問題
・猥褻問題
・レイプ教唆事件
・パロディ化
・コンテンツとプロバイダー
● これらの犯罪に共通してみられる特徴は、ネットワークの長所と裏腹の関係に
あることである。例えば、ネットワークで率直な議論ができることは、本人
確認の困難なことと実は表裏の関係である。誰でもどこからでも参加できる
長所は、ハッカー誕生の当然の前提である。
角を矯めて牛を殺すの格言通り、犯罪の発生を防がんとするあまり、
ネットワーク自体の健全な発展をゆがめてはならない。
(5) 公選法上の問題
1) ネットワークの政治的な利用については、ずいぶんと理解が深まってきた。
昨年3月、パソコン通信で国会通信を初めて発信する際は公選法上の問題が
起こりやしないかと懸念した。そのときと比較すると、すべての政党がホーム
ページを備えた現在はまさに隔世の感がある。昨年は日本の政治史上、
ネットワークが市民権を得た元年と言えよう。
2) 日常の政治活動としてネットワークを利用することはまさに
政治活動の自由の範疇に含まれるものである。そのことによって
公選法上問題は生じ得ないことは常識化してきた。
3) しかし、いまでも「選挙活動」としてネットワークを利用するとなると、
パソコンでもまたインターネットでも、一定の情報を具象化して送る以上
それが公選法上の「文書・図画」に該当することになるとする自治省の
見解は揺るがない。
4) この自治省の見解に対する、反論を整理してみると、
●(電話との比較論)電話による投票勧誘は公選法上容認されている。
このことから、ネットワークに情報をアップすることは電話による
投票勧誘と同視できるのではないか。とする考え方。
●(「文書」ではない)情報を得ようとする意思を持つ者がアクセスすることで
初めて眼に触れるのがネットワーク。それは誰でもが眼にすることが出きる
文書や図画とは異なるはずだ。とする考え方。
しかし、どちらも決定的な反論になっていない。
5) 問題の本質は、日常の「政治活動」と「選挙活動」を不連続あるいは断絶し
て規定し、前者は自由、後者は規制(法律が認めた選挙運動のみできるとする
限定列挙)している公選法の基本的構造を改めなければ解決し得ない。
原則自由として、規制は選挙費用についての厳密なチエックに絞るべきだと考える。
(次回で電脳政治学は完結します)