国会通信 No.296
【憲法施行50年】
1997/5/6 (マンデーレポート第296回の要旨)
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【憲法施行50年】
【憲法施行50年に思うこと】
● 連休中は、地元に張りつき、主な日程は「支持者回り」でした。
その間、5月1日には「メーデー」に参加、また5月3日には
連合栃木の主催する「憲法を考える」集会に出席、民主党とちぎを
代表して挨拶しました。
● 挨拶の要旨
1 2年前、タヒチでの核実験反対のデモに参加しました。
そのとき「核の抑止力をいかにして乗り越えるか」が21世紀の人類の
最大の課題であると強く認識しました。
2 そして最終的に「核の抑止力」は、「国家概念」を超越することでしか
乗り越える事はできないと思いいたりました。「国家」を軍事的に守ろうと
すれば、もっとも効率的かつ安価な軍事力は、(現在の科学のレベルでは)
どうしても「核」になってしまいます。
したがって地球上に「国家」と言う地域的な区画が存在するうちは、
核は不可欠の国家維持装置であり続けるでしょう。ことばを変えれば、
国家概念を変革することでしか核の廃絶は成し遂げられません。
3 民主党は、「国民」という言葉よりも「市民」という言葉に重きをおきます。
それは、「民」のうえに「国」を載せている「国民」、あるいは国境に制約
されることを前提とした「国民」という言葉よりも、国境を越えて連帯する
可能性を秘めた「市民」ということばを重視したいからです。
4 日本国憲法の普遍的平和主義は、世界の平和を希求する全ての市民の
共通の願いに立脚しています。それゆえ、21世紀のわが国の指針を明示
するものとして憲法の平和主義は、今後とも尊重しなければなりません。
5 しかし、憲法の中にも積極的な改正を検討すべきものもでてきています。
特に情報革命の大きな「うねり」を背景にして、直接民主制を求める声が
じょじょに強くなってきています。民主党は、結党にあたって「首相公選制」
や「国民投票制」の採用を検討課題としました。
これらはいずれも憲法改正が必要となるものです。
人権規定その他にも改正を検討しなければならないものがあります。
これらについては、議論をおおいに活発にしていくべきです。
6 最後に、憲法改正は誰がするかという原点を忘れてはならないと思います。
改正をするのは、政治家ではなくまさに有権者一人一人であると言うことです。
そして、その有権者が正しく判断できるような社会になっているかどうか
ということも重要です。例えば、判断のための基礎的な情報が得られなければ、
間違った判断や、意図的な誘導や世論操作が行われかねません。
情報公開は、そんな意味で極めて重要です。現在の情報公開のレベルでは、
しっかりとした判断が可能か、きわめて疑問です。
また、マスコミも成熟した冷静な論議を進められるような姿勢になっているか
どうか。これまた疑問です。憲法改正の論議と並行あるいは先行して、
有権者の正しい判断を担保する取り組みも強めなければなりません。
● マスコミの報道ぶりについての懸念
マスコミは「護憲」か「改憲」かと言った、55年体制そのものの
時代錯誤的な取り上げ方を続けています。そんな荒っぽい議論をしても
意味がありません。憲法の逐条的な議論のなかで緻密な論議を進めるべきです。
ムード的な改憲論を煽るような事になってはならないと思います。
● 憲法改正の論議と並行して(あるいは具体的な改正に着手する前提として)
行うべきものそれは二つあると思います。
1) 一つは、前述の通り、憲法改正権者としての有権者の正しい判断を
阻害している
システムの改革
(★ 情報公開、
★ 政治的公正確保のための政治改革
・有権者に不親切な選挙制度の改革
→在外邦人の投票権の保障、平日投票制度、夜間投票制度
・有権者の適正な範囲の改革
→投票権の年齢引き下げ、外国人の参政権問題
★ その他)
です。
2) そしてもう一つは、「失敗の歴史」の国民的な検証だと思います。
明治憲法は当時としてもかなり進んだ憲法でした。そして男子普通選挙
も行われる等、形式的にはそれなりの民主主義の制度は導入されていました。
しかし、軍部の圧力の前で、国会は大政翼賛会となって無力化し、
マスコミは戦争に協力させられ、国民の多くは盲目となって判断停止
してしまいました。
なぜそうなったのか。この自問自答を日本人は反復すべきだと思います。
そして、失敗の歴史の因果関係の共通認識を国民が持ちうるようになるまで、
憲法改正の現実的な着手は待つべきだと考えています。