国会通信 No.330


 【新進党分裂と自民党プロブレム】

1997/12/29 (マンデーレポート第330回の要旨)


■ 新進党 4分裂   野党第1党の新進党は、27日午後の両院協議会で解党決定を強行し、一夜あけた   昨日28日の段階では、     (1)小沢新党  (2)参院の公明党グループ     (3) 鹿野新党  (4)民社新党     の4つに分裂することが確実となった。 ■ 党首選の意味  ●94年12月に9党派が合流してできた新進党のスローガンは、自民党に対抗して   二大政党時代を切り開くということだった。   その旗頭だった小沢党首自身が「政策による是々非々的な対応」路線を   主張して党首選に臨んだのである。すなわち場合によっては自民党と   連携する余地を認めたのである。これは結党時のスローガンの明瞭な否定であり、   党首自ら変節をしたことに他ならない。  ●しかし変節した党首が、野党結集を唱えた鹿野候補に勝ったのであるから、   新進党自体、自らの存在意義を自己否定したのである。したがって党首選の結論が   でたその瞬間、すでに新進党は事実上消滅していたのである。  ●ただ残念なのは、党首選の論争のなかで、単純な政治路線の対立(野党結集か保保   連合か)の問題と、あいも変わらない党内民主主義という名前の小沢人格論議のみ   がクローズアップされただけで、路線の背景にあるはずの理念や政策的な論争が   ほとんどされなかったことである。  ●その結果は、分裂新党の魅力のなさにつながっていく。結局小沢新党だ、鹿野新党   だと言っても、権力闘争のはての分裂でしかなく、結果として、   旧民社 や旧公明等の先祖帰りした新党が再び顔を現しただけである。   これがきわめて残念である。 ■ 自民党プロブレム   私は、わが国の政治の重要な課題は、「自民党プロブレム」   (=「自民党」問題)の解消であるとずーっと考えてきた。   「自民党プロブレム」とは、自民党という政党の存在自体が、日本の政治の進展を   妨げているという考え方のことである。存在自体を問題ととらえるのである。   それはこういうことだ。   自民党は政権の座にいることで初めて政党として存在が可能となる政党である。   「権力」という強力な接着剤を失った自民党は、もっとすっきりした形に分解   されざるを得ないはず。   政権につくことを最優先課題にしているから、理念・哲学・政策・政治手法など   は「二の次、三の次」、何でもありの政党である。   自民党に理念がないと言うのは正確には正しくないかもしれない。   バラバラな理念を集約することよりも、政権の座にいることのほうが   数段重要であると考えているといったほうが正確である。   理念が雑居している政党と言ったほうがよいかもしれない。   このような政党が政権の座にありつづけることに日本の政治の最大の問題がある。   政党の原型を自民党にしか求められない有権者は、政党はすべて自民党のような   ものだと思ってしまう。うそも方便なら、政策も方便と思ってしまう。   そこに責任の観念は欠落していく。   自民党という存在自体が日本政治の原罪なのではないかと思う。   なぜなら、この政党にとって、理念にしろ政策にしろ、自らが政権の座に居続ける   ことの方便にしかすぎないからである。   また理念や政策は単なる政権のアクセサリーにすぎないからである。   ある政策が失敗したら簡単に別の政策に取り替えればよいと思っている。   たとえば橋本総理であろうが、行革に失敗し、規制緩和政策で失敗したら、   別の政策をひっさげた別の自民党代議士に簡単に首をすげ替えればよいと   思っている。   たとえば、小渕外相は、外相就任前は、確か靖国神社の公式参拝を求める会の   会長を勤めていた。そこに外相の声がかかる。   そして立場上問題になるからと言って会長職を簡単に辞めてしまう。   もし、靖国に参拝することを信念と考えるのなら、参拝ができなくなる外相など   受けるべきではないのだ。それとも閣僚をやめた瞬間また会長に復帰すればよいと   気軽に考えているのだろうか。神社に参拝する行為を単なるファッションとでも   思っているのだろうか。信念や理念はそんなお手軽なものではないはずである。   理想とか理念とか信条とか信念とか、それらのものが重要だと考えられている   のはなぜだろうか。それは、それを唱える人の精神に対して、   つねに鋭い問いかけを発し続けるからこそ重要なのである。   そこに責任の観念が生まれ、自立の精神が現れ、人からの信頼の核が生まれる。   権力は、理念や信条に奉仕するからこそ初めてその存在が認められるのである。   しかし、権力の座にあると言うことが自己目的化してしまった時には、   結局権力を規制するなんの基準も存在しなくなってしまう。   また理念や信念が明らかにされているということは、国民に対する責任の   よりどころが明らかになっているということである。もちろん権力がいつも   正しいわけではない。権力が誤ったときに、権力の責任を追及し、時には権力の   交代をせまる重要な手がかりがこの部分である。   政治はある意味で、理想や理念と現実をいかに調和させていくのかという   苦しい営みである。この胃の痛むようなぎりぎりの作業をこなしつづけていくのが   政治である。理想と現実の相克、この緊張感を失ったときに政治は限りなく   堕落する。   そして最後には自らも国民も共々に大きな災厄に導いていってしましまう。   権力の維持こそすべてであり、そのためには矛盾する理念でも政策でもがぶりと   飲み込んで平然としていられる自民党の姿は日本の民主主義の発展を   妨げつづけている存在と言わざるを得ないのである。   だからこそ、自民党の理念的な解体こそ日本政治の大きな課題であり続けるの   である。 ■ 自民党プロブレム解消の戦略   このような自民党の体質を改革するための戦略をどう考えるべきか。  ●以下のAとBの二つの戦略が基本である。新進党は最初はAの戦略に立っていた。   しかし、小沢党首は今年春の沖縄特措法改正問題以来Bの戦略に転向した。   (A)野党転落による自己崩壊   (B)連立による変質   連立を組みつつ自民党を変革するためには、相当の「議席数」か環境が必要である。   一年間の野党暮らしから与党に戻った村山政権発足当初の時には、   社さの数は少なかったが環境的には自民党を押さえ込む背景があった。   現在はどうであろうか。   連立を組むことで自民党を掣肘するという、社さのかけ声は虚しく響くだけである。   自民党にはみな「良いとこ取り」をされてしまう。   ミイラ取りがミイラにされてしまうのである。   戦略的には(B)の方法はきわめて成功の可能性が低いことを知るべきである。  ●さらに小沢新党は、安全保障や憲法九条の考え方では自民党よりもさらに積極的で   ある。とすると連立を組むことは相互制約よりも、補完か増幅の作用をもたらす。   したがって、小沢新党が自民党と組むことは、自民党プロブレムをより深刻に   してしまう危険性をもつ。  ●特に小選挙区制が入ったことの積極的な意味を考えたとき、自民党プロブレム解消   の戦略は、結局の所総選挙で勝って、自民党を野党に転落することしかないと   見抜くべきである。 ■ 分裂新党に望みたいこと   このたびの、分裂新党のそれぞれの働きが連鎖反応を起こし、自民党プロブレムに   代表される日本の政党のいい加減さが、正しく整理されていくよう期待したい。  ●小沢新党へ   自民党に対して烈火のごとき政策論争を挑んでほしい。   外交問題や、経済政策について、徹底した新保守主義の見地で自民党を   責め立ててほしいのである。そして、ついてこれない人が自民党から   あぶり出されたならベストである。言うならば、小沢核弾頭を自民党の   場当たり主義に正面から打ち込んでほしいものである。   新進党の核分裂が、自民党の核分裂を誘発し、日本の政界をぐるっと一回りする   ような、最終的な核分裂と核融合の連鎖反応を起こしてくれることを期待したい。   それこそ政界のビッグバンである。   もっとも、「悪女の深情け」(山崎政調会長談)でも簡単に飲み込んでしまう   のが自民党のただならぬ所である。「一ちゃん」「紘ちゃん」の仲に簡単に戻って   しまうおそれなしとしない。核弾頭もブラックホールにはききめなしかも知れない。   さらに、これをきっかけに与党にもどりたいなどとひそかに思っている人たちも   相当いるかもしれない。そうなったら最悪である。  ●その他の新党へ    まずは、結党の理念をあきらかにすることから出発してほしい。   しかし、それと同時に、野党結集こそ最優先の課題であることを忘れないでほしい。   政治の活力を取り戻し、国民に政治のほうに目を向けてもらえる唯一の方法は、   野党の再結集である。   小異を忘れてではなく、小異を残して大道につけと江沢民は言ったが   その通りである。   分裂による野党の弱体化は、手詰まり状態の橋本政権を助けるだけである。   そのための積極的な結集の努力を示してほしい。