国会通信 No.333
【民主党定期大会in沖縄】
1998/1/19 (マンデーレポート第333回の要旨)
●17日、18日の両日、民主党1998年度の定期大会が沖縄県那覇市で
開催され私も幹事として出席した。
通常、政党の定期大会は東京で開催される。民主党はあえて沖縄を開催地に選んだ。
それはなぜか。まず政党運営の原点から中央集権発想を改めることにある。
そして、日本の将来を構想する出発点に「沖縄」の痛みを置くべきだと考える
からである。
●昭和44年12月、当時私は大学1年生。ベトナム戦争のさなか、
北爆を続けるB52の姿を自分の目で確認したくなり、矢も楯もたまらず
日本を発った。大学は紛争で荒廃し、セクト争いと自己批判の渦にもみくちゃになり、
混乱した自分を見つめ直す意味もあった。
沖縄はまだ復帰する前。塩釜市の保健所で、コレラの予防注射をしたうえで、
晴海から船に乗り48時間かけて那覇に着いた。
市内のユースに泊り、嘉手納に入る機会を探った。
普通ではもちろん入れてくれない。
情報を集めるうちに鹿児島県の県議団が視察で基地入りするという話が耳に入った。
そこで、図々しくも彼らの宿泊先に押しかけていった。
そして秘書扱いにして連れていって頂けないかと頼み込んだ。
私は、イガグリ頭のいかにも田舎の大学生といった風情。
そうとう抵抗はあったと思うが、鹿児島の県議さんは快く引き受けてくれた。
嘉手納基地の中の光景は、一言で言って衝撃的であった。
いわば私の原体験である。
ベトナム北爆に向かうB52がエンジンの爆音をあげながら待機していた。
その衝撃波はゲストルームの分厚い防音ガラスをビリビリと震わせていた。
垂直尾翼は、想像以上の高さで空に突き立っていた。
圧倒的な軍事力の凄みを威圧的に見せていた。
基地内の兵舎は奇麗だった。
水不足の沖縄のはずなのにスプリンクラーがくるくると回り
芝生の緑を潤わせていた。
基地の外の貧しさとは対照的であった。
その後沖縄は日本に復帰、25年を経過した。
確かに沖縄は豊かになった。
しかし、その豊かさは国の補助率8割の豊かさである。
15、 6世紀、中間貿易で豊かに潤っていた琉球の可能性を基地が封じ込めている。
その見返りとしての補助金付け。
この国は、沖縄の自主性と可能性を圧殺しながら、補助金で本質をごまかし
続けている。
本土内の基地は65%も縮小されているのに。
沖縄の基地は15%しか縮小されていない。
そしていまでも日本全体の米軍基地の75%が
沖縄に集中している。
沖縄の悲しみは変わらない。
18日の大会冒頭、沖縄の少女たちが喜納まさひろ作の
「花」をバックに琉球舞踊を披露してくれた。
「川は流れて、どこどこ行くの。」との歌いはじめの曲を聞きながら、
そしてあどけない少女たちの明るい笑顔を見ながら、
日本が沖縄に押し付けている深い悲しさ、
日本が沖縄に課している安全保障上の重い負担、
これをいかにして軽くしていくのか。
それは我々の責任である。
常時駐留なき安全保障、
基地の段階的縮小と非駐留化の道を真剣に追求しなければならない。
アジアの軍事的な環境はそのことを可能にしている。
海兵隊の即応後方配備は可能になっているはずだ。
■ 菅代表 提起
【政権構想】
18日の大会で菅代表は
2月に発表予定の民主党政権構想の骨格について説明した。
そのうち重要なものを紹介する。
●連邦分権国家
中央集権国家から地域主権を基本とする「連邦分権国家」をめざす。
沖縄を始めとして各地の独自性や多様性を容認する「一国二制度」どころか
各都道府県ごとの多様性を認めるような制度にしていく。
●市民中心型政治
官僚主導・族議員による既得権擁護の政治から自立した責任のある市民
による政治をめざす。
●第3の道の模索
透明な市場ルールの明確化その範囲内での市場主義
【政局の見通し】
●衆議院選挙における過半数獲得が目標
一人一人が「政権」を選べる選挙にしたい。
オリーブの木 構想は選挙前に政権担当者を合意したうえで
選挙戦に臨んだ。これを参考にしたい。
●現状認識:今は政界再編の折り返し点である。
自民対非自民という、相対的な再編ではなく、
じょじょに大まかな政策結集が進もうとしている。
自民の内部矛盾をつき、将来大きな再編につなげていきたい。
●さきがけ与党離脱の可能性が高まっている。
これは静かに見守って行きたい。その後の連携もありうる。
社民党はみずから政権内残留を明らかにしているが、
門戸はあけておきたい。
■ 鳩山幹事長 報告
●新党を急ぐべきではない。
望まれて、新党を作るべきである。
確信さえあれば時が解決する。
●衆参同時選挙ありうべし。