国会通信 No.337


 【参議院出馬要請】

1998/2/16 (マンデーレポート第337回の要旨)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ● 先週の14日(土曜日) 宇都宮市内のホテルにおいて  「4者協議会」から、来る7月の参議院選挙に非自民の統一候補として  立候補してほしいとの出馬要請を受けた。  この要請を受けて来る7月の参議院選挙に出馬すべきか、  今私はその判断を迫られている。 ●「4者協議会」とは、本県における非自民の各派  (民主党、新党友愛、公明党栃木、そして連合栃木)で構成する協議会のことであり、  昨年の9月に連合栃木の提唱を受けて結成された。  参議院栃木地方区は定数2名。  そして現在2議席とも自民党が占めている。  7月の参議院選挙において「自民党2議席独占を阻止する」ことが4者協議会の  一致した目的であり、9月以来鋭意候補者選考を進めてきていた。 ● 途中、擁立におおかたの合意を得ようとしていた民主党所属の県議のホープが  辞退したり、当初協議会に参加していた民改連の現職参議院議員が自民党に  くら替えして脱会したり、さらには新進党の分裂が起こったりなどして、  候補者擁立は遅れていた。 ●ここに来て、焦点は急速に私に絞られてきた。  自民党の現職2名はすでに着々と選挙準備を進めている。  そんななかで当選可能なのは、衆議院2期をつとめて比較的知名度の高い私しか、  勝てる候補者はいないというのがその背景である。 ● 平成元年の初当選以来 1昨年の敗戦に至るまでの7年間余、私は衆議院で  活動してきた。  そして衆議院が日本の政治の第1院であることを実感してきた。  かつての政治改革にしても、また多くの重要法案にしても、まずは衆議院での  議論から始まるのが実態である。    このことは単に政治の実態がそうなっていることにとどまらない。  実は憲法の中に、数々の衆議院の優越規定があることから出発しているのである。 ● 憲法中の衆議院の優越規定は以下の4つである。  1)第59条〔法律案の議決、衆議院の優越〕    衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、    衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。  2)第60条〔衆議院の予算先議と優越〕    予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。    予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、…    又は…三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。  3)第61条〔条約の国会承認と衆議院の優越〕    条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。  4)第67条〔内閣総理大臣の指名、衆議院の優越〕    内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。    衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、    ………、又は……十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、    衆議院の議決を国会の議決とする。  このような法律・予算・条約・総理大臣の指名という  広範な衆議院の優越規定があることから日本の国政は衆議院中心に  動いているのも当然である。  参議院議員が総理大臣になれないとの規定は憲法にはもちろんない。  しかし指名において衆議院の優越規定がある以上総理大臣の有資格者は  事実上衆議院議員ということになってしまう。  (なにも総理になりたいと言っているわけではありません(^^))  議員会館を訪れる陳情客の数、説明にくる省庁の役人の数にしていも、  二つの衆議院会館は、参議院会館を凌駕している。    このような実態の中で、参議院から衆議院に移ろうとするものはいても、  その逆をねらうものは例外的であった。私もそのような強い思いで衆議院への  返り咲きを目標として活動してきたのである。 ● しかし、一方で私は、日本の政治の最大の課題を「自民党プロブレム」であると  主張して来た。  理念政策の幅を不必要に広げ、場当たり的な政策を掲げながら、  権力の座にあり続けることを自己目的化してきた自民党。  このような自民党が長く政権にあり続けることによって、  日本人の政党観は大きく歪められてきた。 ●自民党は、相互矛盾する政策を店頭に平然とぶら下げて、有権者を幻惑し続けてきた。  右のポケットからとり出した政策が、まずいとなれば  恥も外聞もなく左のポケットから別の政策をひっぱりだす。  その二つの政策が相当矛盾していようとお構いなし。  政権にしがみつくためには何でもする。  名護市への恫喝で象徴されるように、  補助金・交付金をアメと鞭として利用し、政権を維持し続ける。  その無原則的な対応こそ政治不信の根幹をなすものだと考える。 ●このような自民党手法でもそれなりに有効だったのは  第2次世界大戦以来の世界経済のパイの拡大があったからである。  しかしこれからはそうはいかない。  なぜなら、冷戦構造の崩壊と情報革命の進展により、  世界経済は大きな構造変革の時を迎えているからである。  この変革の混乱は一時的なしかし深刻な停滞をもたらす。  ちょうど現在の日本がそのど真ん中にある。  そんななかで重要なことは  政治が明瞭な選択肢を有権者に率直に提起することである。  特に経済政策について、  自民党の無原則性は、場当たり的な小出し政策と後出し政策、  そして抜本的な改革の先送り主義に陥っていくことは間違いない。  たとえば、羊頭狗肉の橋本行革、たちまちメッキがはげる財政構造改革、  中途半端な減税、おためごかしの景気対策など、現在の政策不況の根本原因は  すべてが信念なき場当たり主義、本質的な無原則性から来ているものである。  そしてもっと重要なことは、パイが拡大しているときには  これらの失敗はあまり目立たずにすんでしまうが、  パイが収縮しようとしているときには、  この失敗は致命傷になる恐れがあるということである。  だからこそ、私は、 ◆自由競争を徹底せよと主張する  サッチャーリズム的政党(小沢自由党にこれを期待したい)と、 ◆自由競争と自己責任原則は尊重しながらも「市場の失敗」にも配慮する政党  (民主党及び民友連はこれをめざすべきである)の挟撃によって、  自民党の経済政策が純化されることを望みたいのである。  そして純化の課程で磁石のN極とS極に引き寄せられるように自民党が分解し  徐々に2大政党的に究極の政界再編が行われていくことが望ましいと考えている。 ●私が現在政治的にもっとも重要と考えていることは、  以上述べた自民党プロブレムの解消である。  そしてそのための戦略としての非自民勢力の結集である。  さらに、自民党プロブレム解消のための自民党野党化である。  自民党が野党であった細川政権が、たった1年弱で終わってしまったことは  かえすがえすも残念である。  この日本政治の進展のための千載一遇のチャンスを内紛でつぶしてしまった当事者、  そしてその後簡単に自民党を政権に復帰させてしまった私を含む関係者は  痛切な自己批判をすべきである。 ●自民党プロブレムの解消こそ、究極の政界再編の大目的と意識すべきである。  そして、究極の政界再編も新しい時代に対応したものでなければならないのは  当然である。もしも旧来のイデオロギー対立の残滓の中で再編をやることは  再び55年体制を復活させることにもつながりかねない。  すでにイデオロギー対立の消滅した世界と不つりあいのアナクロニズム政党を誕生  させることは有害無益である。  私たちが民主党を作り上げる際に、「社さ」丸ごと論を徹底的に嫌ったのも  実はそのような理由からである。  「社」と「さ」がまるごと合体することはイデオロギー対立の過去の  枠組みに先祖帰りしてしまう危険性が濃厚に感じられた。  だからこそ「分裂したさきがけ」と「分裂した社民党」どうしが  合体する必要があったのである。   ●また民主党が市民概念を意図的に強調したのも、  「組織の時代」から「個人の時代」へと移り変わっていく  社会的な変動にいち早く対応した政党を作ろうとする試みでもあった。  そしてそれは、自民党的な企業支配、社民党的な労組支配を  乗り越えようとすることにも通じている。  いま民主党の支持率が上昇しない理由の一つは、  社会党的な労組依存体質から脱却できていないのではないかとの  市民の疑問に応えられていないからである。  このことは重要なポイントである。  しかし、多くの働く人々の存在はいつの時代にも必ず存在する。  集団が細分化されそれぞれが独立自営業感覚を持つようになろうとも、  マスとしての労働者は必ず存在するし、  その利益を中心になって代弁する政党は必ず必要である。  また、実は労組自身の方が「個人の時代」に対応するための  自己変革を真剣に考えている。  労組の市民化は重要な論点として明瞭に意識されている。  むしろ議員の側のほうこそ意識変革が遅れているのではなかろうか。  このような社会変革に対応した新しい政党をどのように誕生させていくか、  これも非常に重要なテーマである。 ●衆議院の選挙制度改革は決して無意味ではなかったと確信する。  しかし、政治改革の対象は日本社会全体に及ぶほどの巨大なものである。  また、縄文の太古から続く我が国のコミュニティーを変革しようとし、  日本人の深層心理や思考の癖まで変えようとするものである以上、  短期間で成就するほど生やさしいものではない。  何度も何度も手を変え品を変え、しぶとく生涯かけてぶつかっていくべき  ものなのである。  今、ときどき自民党に臆面もなく戻ってしまったエセ改革論者の言葉が  聞こえてくる。  彼らは「改革は夢だった・熱病だった」などと、しきりと自己弁護している。  そして、それをしたり顔で報道するマスコミの見識の低さはあきれるばかりである。  しかし彼らの言葉は、自らの背信を隠蔽しようとする怯懦の言葉であり、  その定見のなさと洞察力の欠如を先行自白しているようなものである。  現在の政界の混乱、それは新しいものを誕生させるために  必然的にたどらねばならない、一種の秩序破壊である。  混乱をおそれてはならない。  しかし、重要なことは明瞭な洞察力をもって改革の行方を  しっかりと見据える持続的な意思と知性  そしてダイナミックな行動力の持ち主が少なすぎることである。  改革は続けなければならない。  あらゆる場所で、あらゆる機会をとらえて。  そして、この国の枠組みも大きく変えるべき時が来ている。  そのためには憲法の定めた政治行政の枠組みを変えることにまで  踏み込まざるを得ない。 ●首相公選は時代の趨勢であろう。  有権者は、個人の意思を、瞬時に大量に伝達する情報革命の意味を直覚している。  「トップリーダーは自らの意思で選ぶ」これが彼らの心情である。  そしてそれによって、初めて根本的な政治不信から飛翔できる。  同じ意味で、「国民投票」的な制度も当然必要である。 ●二院政は根本的に変える必要がある。  憲法の定める二院政は完全に時代に合わなくなりつつある。  衆議院と同じ所管事項で、しかも憲法上つねに衆議院の意思に優越される  参議院の存在意義は希薄である。君主と民衆が対立していた時代の遺物であり、  民衆の暴走をチエックする役割を擬せられた参議院は変革する必要がある。  議会制度草創期の二院政は、市民参加が高まった現代にふさわしい制度に変革  されるべきである。さらに国会コストの合理化のためにも、  衆と参の新たな役割分担を考えるべき時に来ている。  小選挙区制の採用も、より明確な衆と参の機能分担に拍車をかけてきた。  国内的事項と国際的事項、短期的事項と中長期的事項、等々大胆な変革を  考えるべきである。 ●連邦分権国家  地方分権を発展させると、やがて行き着くのは「連邦」国家の概念である。  極言すれば、中央集権の最後の砦は法体系になるであろう。  すなわち憲法←法律←条例 というそれぞれの法源の上命下服関係があるうちは  常に中央集権になる。ある意味でそれは国家の本質でもある。  国家とは法体系である。  そして憲法94条が地方自治体は法律の範囲内で  条例を制定することができると定めている以上、  国の自治体に対する優位は、  憲法の定めでもあるのである。  我が国の活力をみなぎらせるためには、  やがてこの部分も変えていく必要がでてくるであろう。 ●さらなる改革のためにはどうすべきか。  さらなる改革を続けるためには今私はなにをなすべきか  なにが可能なのか、冒頭のテーマはそれに密接に絡んでいる。  物事の優先順位を見極め、軽重を過たずに判断したい。