国会通信 No.339


 【参議院選 出馬】

1998/3/2 (マンデーレポート第339回の要旨)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●先週の出来事   ◇26日 鳩山幹事長 来宇。    私に対し参議院選挙出馬を最終要請。    また出馬に際しては、4者協議会(連合、民主、友愛、公明)の    要請に応えて、党籍を残したまま「無所属」で臨むことを了承。   ◇28日 やなせ進後援会の拡大役員会開催。    後援会として、参議院選出馬を全会一致で了承。   ◇28日 4者協議会 開催。    出馬要請を、受け入れる旨報告。    私の参議院選出馬が、最終的に決定した。 ●出馬を決意した理由  90年2月18日の衆議院初当選以来96年10月20日に落選するまでの  6年8ヶ月、私は衆議院を舞台にして活動してきた。  そしてその間、激しい政治改革の嵐の中で、常に渦の中心近くで全力投球して  きたつもりである。「さきがけ」という名前を発案し、  「民主党」という党名を提案したのも、実は私である。  自民党でスターとしながら、自民党の政権維持のためなら何でもすると  いったいい加減さと無原則性そして自己矛盾を打破することこそ、  日本の政治の進展のために絶対必要であると確信して、行動してきた。  日本の政治の風はまず衆議院から起こる。  その足場の衆議院から参議院へ転進することには大変大きな抵抗感があった。  96年10月の船田氏との戦いに是非とも雪辱を遂げたいと思ってもいた。  12万7千 対 5万7千 という大差も、その直後の政治学者の調査によれば  船田票の31.1%が「簗瀬は比例で大丈夫だから船田に投票した」との実態が  報告されている。(青山学院大 田中愛治教授)  12万7千の31%は3万9600票。選挙制度の無理解のために4万もの票が  動いてしまったのである。数字上の大差は、見かけほどではないのである。  2回目となれば、このような誤解は相当減るであろうから  今度こそ正念場だという気持ちも強かった。  しかし、このような衆議院へのこだわりや、雪辱の思いは、  よくよく考えてみれば結局「やなせ進」個人の思いでしかない。  政治は誰のためにあるのか。  政治家のためにあるのではない。有権者のためにあるのである。  今、この国の有権者にとってなにが必要なのか。  今この国の政治の最大の問題点はなんなのか。  これが根本の論点であり、  それに自分がどう答えを出すかが問われているのである。  現在、日本は深刻な不況のさなかにある。  恐慌一歩手前の現在の状況を作った最大の原因は、  自民党の政策が、果断な決断を欠いた、小出し・後出し・場当たり主義の  政策であったことに間違いない。  湾岸戦争の時に世界から批判された「トウー リトル トウーレイト」は  なにも外交政策ばかりではないのである。  「兵力の逐次投入」という愚を犯し続けた日本軍の失敗は、  いまや自民党と大蔵省の失敗と全く共通している。  自民党の政治の本質は、権力を枕にして、  大蔵省を頂点とする霞ヶ関の高級官僚と財界と癒着することに他ならない。  この政官業の癒着のトライアングルが続く限り、  大胆な政策展開は絶対にできっこない。  それぞれの顔を気遣った調整的な政策しかだせやしない。  経済が自然に拡大しているときはそれでもまだやり過ごせた。  しかし、経済が縮小しようとしている現時点では  もうとても通用しないのである。果断な、そして全力を投入した  大戦略が必要である。それができない最大の理由は  自民党政治の本質と、大蔵省を頂点とする霞ヶ関の官僚政治に帰着する。  これが日本の最大の問題点であり、  それを解決する方策は、一つしかない。  それは自民党を政権の座から放逐することである。  それによって癒着のトライアングルを峻烈に破壊することしかない。  そのために、私は全力を挙げなければならない。  これが私が考える政治の最優先課題である。  このことを起点として、すべてを判断すべきであると  ようやく思い切ることができた。   7月の参議院選挙、自分で言うのも何だが  もし私が立候補要請を受けなければ、非自民勢力は  かなりの確度で敗北するであろう。  私は、自らの不出馬によって、自民党2議席独占に手を貸すことになる。  これは私の自己矛盾である。  衆への思い、雪辱への決意、これらは自民党との戦いという大事に比べれば  あくまで小事にしかすぎない。  ようやくそのように心中を整理することができるようになった。  28日の拡大役員会は、県議現職で亡くなった父の墓参をしてから臨んだ。  父は前立腺ガンで血尿を出しながら、テクノポリス宇都宮誘致のために  デモンストレーションのアメリカ視察を行った。栃木県の未来を夢見ながら  激痛に耐えて、しかも自費で視察旅行を断行した。グループの一員として  私も参加し、間近に父の激闘ぶりを見た。帰国後4ヶ月で父は死亡した。  この父の生き様こそ、私の大きな目標である。  頭を清明にし、私心を離れて判断するとき、衆へのこだわりは消えた。  私は、このようにして、参議院出馬を決断した。 ●参議院出馬の積極的な理由  出るからには、腰掛けで参議院になるなどというつもりは更々ない。  参議院で活動することの大きな意義を見いだしている。  以下のように、もうそろそろ国の根本的な仕組みを変えていくべき時が  来ているのではなかろうか。その大きな改革のベースキャンプとして  参議院を考えたい。  ◇首相公選制度へのアプローチ   中曽根流首相公選論は、いわば「上から下を見下ろした」公選論であり、   強いリーダーの存在を求めたもの。私の考え方とは異なっている。   私の首相公選は、情報革命時代に対応した新しい政治の枠組みの構築である。   有権者の政治への直接参加をはかる、もっともわかりやすい制度が首相公選である。   いうならば「下から上を貫く」首相公選論である。  ◇2院政の改革   所管事項が同じであり、その上決議の価値も衆のほうが優っているから、   参は衆のカーボンコピーといわれたり、参議院無用論も起こってくる。   アメリカの上院と下院のような所管を別にする2院に再構築すべきではないか。  ◇連邦分権国家   地方自治を徹底すると、独自の立法権を認めた連邦制度に行き着く。   日本の活力をもっと発揮し、多様な民主主義の姿を認める連邦制度を   標榜すべきではないか。    さらに衆議院は現在小選挙制度となり、選挙区の範囲は従来の中選挙制度と   比べると3分の1になっている。これは上記の2院政の改革の必要性にも   つながることだが、同時に連邦の代表としての参議院と、地域の代表としての   衆議院という新たな役割が出てくるのではないか。