国会通信 No.349
【民主党栃木連合 発足】
1998/5/18 (マンデーレポート第349回の要旨)
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■ 17日 午前10時 宇都宮市内のホテルで
民主党栃木連合が正式に発足しました。
代表には 小林 守 衆議院議員
常任顧問に 神田 厚 衆議院議員
そして私は代表代行に就任しました。
■ 党本部からは 羽田孜幹事長が応援に駆けつけてくれました。
その後宇都宮市内で 羽田さん、小林さんと私の3人で街頭演説をしました。
■ 羽田さんとは、自民党の政治改革合同会議以来のおつきあいです。
選挙制度改革や国会改革を全国遊説しながら訴えましたが、羽田さんや
後藤田さんのお供を良くさせていただきました。
自民党の政治改革が再三挫折していくのに業を煮やし
羽田さんを総裁候補に担ぎ出そうとしたり、また経世会の分裂を策すなら
一挙に羽田新党を作るべきだと、しつこく要請したこともありました。
■ 私と羽田さんは 1993年6月18日に自民党員でありながら
宮沢内閣の不信任案に賛成の白票を投じ、前後して自民党を離党しました。
以後羽田さんは
「自民党」→「新生党」→「?」→「新進党」→「太陽党」→「民政党」
→「民主党」と6回の政党遍歴をしたそうです。
街頭演説の中で、鳩山由紀夫さんから「じいさんの鳩山一郎は8回変わった。
羽田さんはまだ2回も少ない」と変な慰めかたをされた、とのエピソードを
披露していました。
私のほうは
「自民党」→「新党さきがけ」→「民主党」と2回ですから、
まだましかもしれません。
とにかく
5年の歳月を経て 羽田さんと一緒になることができました。
感慨無量です。
■ 私にとって民主党は 以下のような意味で
政界再編の終着点でなければならないと考えています。
● まず 新民主党が旧来のイデオロギーの呪縛を超越している点です。
かつての自民対社会の擬似的な二大政党制は、
当時の東西冷戦構造を背景にしていました。
いうならば自民党はアメリカの代弁者であり
社会党はソビエトや中共の代弁者であったのです。
そしてこのことが安全保障や自衛隊の論議を硬直化させ
その結果、国民の多くは社会党の政権担当能力をあまり
期待させませんでした。すなわち実際のところ
政権交代の可能性は低かったのです。
しかし米ソ冷戦構造が終焉を迎え、イデオロギー戦争も
共産主義や社会主義の敗北を持って終わりました。
早晩、この世界の激変に対応する政界再編が迫られていたのです。
村山・自社さ政権の誕生により、
村山社会党は劇的に安保・自衛隊を容認しました。
これは、世界の状況に対応するための政界再編の序曲でした。
そして、もう安保や自衛隊は政界再編の論点ではなくなったのです。
しかし、まだそのことに強いこだわりを持っている人たち、
かつてのイデオロギーの郷愁の強い人たちは、依然として
社会党の中に残っていました。
そしてこのことの総括と整理を迫ったのが旧民主党の意義だったと
考えています。旧民主党は さきがけ離党者と社民党離党者の合同により
生まれました。旧民主党の誕生の際、イデオロギー色の濃淡は
不十分ながら「ふるい」にかけられたのではないでしょうか。
そして今回、さらに旧自民党系の「民政党」そしてかつての「民社党」系が
加わることで、従来のイデオロギーからの脱却はさらに強められました。
そのことにより政権交代の可能性はより強くなったものと考えています。
またこ従来の左翼イデオロギーからの脱却が「中道」ということだと思って
います。
● 次に自民党との差別化をどうするかです。
羽田さんは、長期政権から来るおごりと腐敗、そして官僚依存を指摘しながら
自民党との差別化を説明しておりました。
もちろんそのこともあると思いますが、それとは別の本質的なことがあると
思います。
それは自民党は最終的には「市場万能主義」的な伝統的自由主義に立ち、
私たちはそれに対して共生や公正の理念を強く求めるという点だと思います。
自由競争が結果として弱肉強食にならないよう、
また極端な優勝劣敗にならないよう常に配慮すべきであると
考えています。