国会通信 No.409
【「中ロ日の微妙な関係」 モンゴル共和国 視察記3】
1999/9/27 (マンデーレポート第409回の要旨)
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【先週の出来事】
●20日(月) 喜連川町の町議立候補予定者に激励のご挨拶。
●21日(火) PM3:30 政策審議会開催。
次期臨時国会の中心議題となる
中小企業対策の通産省の基本方針について、通産省や中小企業庁を
ヒアリングした結果を報告。
●22日(水) AM11:00 宇都宮精肉商組合の「蓄霊祭」に参列。
PM10:00 モンゴル議員連盟の代表者が訪日。歓迎会開催。
●24日(金) PM1:30 東京都連主催の3候補の立会演説会に出席。
午後7時半から鳩山選対の最終の世話人会に出席。
いよいよ明日は民主党の代表選挙。
●25日(土) AM10:00 民主党代表選挙開始。
第一回投票 鳩山 154票
菅 109票
横路 57票
鳩山氏 過半数とれず決選投票となる。
第二回投票 鳩山 182票
菅 130票
この結果についての感想。
天の配剤とでも言うべき結果。第一回は菅代表への愛惜。
第二回は鳩山さんへの期待。
鳩山陣営としては、第一回で過半数を取りたかった。
しかし、結果は、かえって良かったのではないか。
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【「中ロ日の微妙な関係」 モンゴル共和国 視察記3】
1 「中ロ日の微妙な関係」・・ザミンウツド石油備蓄基地をめぐって今回のモンゴル
視察の目玉のひとつは、モンゴルと中国が国境を接する町「ザミンウッド」の
貨物積み替え基地であった。
駅に隣接した貨物の積み替え施設は、日本からの20億円の無償支援により、
1985年に完成。モンゴルの物流に対し絶大な効果をあげている。
貨物積み替え機知の必要性は、中国とモンゴル・ロシアのレール幅の違いから来る。
中国の鉄道はレール幅 1.435メートルの狭軌、いっぽうモンゴル・ロシアは
幅1.520メートルの広軌。このため国境では必ず人も貨物も乗り換え、積み替え
をしなければならないのである。
すなわち、この施設が完成するまでは、荷物の積み替えのために貨物が停滞、
一ヶ月以上の滞貨は当然であった。
しかしこの施設が完成してからは、中国から入ってくる荷物はきわめてスムーズに
流れるようになり、例えば現在日本からは約10日でウランバートルに荷物が着く
ようになっている。
ちなみに中・ロが直接国境を接する町マンチューリでは、依然として貨物が長期滞留
し、このためマフィアのいい商売の種になっていると言う話が伝わっている。
さて、このザミンウッドにモンゴルは懸命になって石油備蓄基地を建設しようとして
いる。バトバヤル会長の話だが、モンゴルの石油は完全にロシア依存。
その依存率は90%をはるかにこえているとの事。
この依存率をなんとか引き下げたい。
将来は50%以下にしたい。
これがモンゴルの悲願だという。
もっともモンゴルに化石燃料がないわけではない。豊富な石炭資源はあるにはある。
しかし、実はこの石炭が大変熱効率の悪いしろもの。
火力発電の燃料に使うことはできるのだが、燃焼の継続のためには石油も同時に
使わねばならないと言った状況。
したがって、モンゴルはそのエネルギーの首根っこをロシアに押さえられていると
言っても良いようである。
この石油の輸入先をロシア以外の国々に拡散したい。
そして相対的にロシアへの依存率を下げたい。
そのためにも中国との国境を接するザミンウッドに石油の積み替え基地と、
備蓄基地の双方を作って多極的なエネルギー構造にしたい、これがモンゴルの重要な
エネルギー政策である。
これらの石油積み替え施設および積替え後の備蓄基地、二つあわせて総工費は
約20億円。
日本にとっては対した金額ではないが、日本がモンゴルに提示している援助の要件は、
「ジャパン オンリー」すなわち日本単独方針=ジョイント援助はだめの方針。
一方、モンゴル側は、金はほしいが、事はエネルギー問題。
日本だけにお世話になってしまうと、陸続きの2つの大国の中ロがどんな反応をする
か、きわめて神経質になっており、多国間の協力でやりたいとして、
日本政府とまだ折り合いがついていないとの事だった。
苦肉の策でEUの支援に希望をつないだが、出してくれた金額は一億円ちょっと。
コンサルに金を払い、道路を舗装したらもうなくなってしまい、いまや広大な
備蓄基地の予定地と整地のみされてレールのない線路敷がウランバートルの
ほうにむなしく伸びているだけ。
まさにザミンウッドの石油備蓄基地計画こそ、モンゴルの置かれている厳しい
政治的な現実の象徴です。
事実上の旧宗主国であったロシアとモンゴルの関係は実に微妙です。
政治的にはロシアから離れたものの70年の共産主義の歴史と、陸続きの地理的な
圧力は当然今も厳然と続いていますし、エネルギー事情もまたロシア依存の最大の
ポイントです。
こんな話を聞きました。
実はモンゴル経済の優等生モンゴル鉄道、その資本形態はモンゴルとロシアの
各50%の合弁会社。
開放経済後、ロシアは人員をどんどん引き上げ今では一万人の従業員中、ロシア人は
副会長を含めても10人を切るような減少ぶり。
このような情況から、実は今年はじめのロシアとの会議でモンゴル側が持ち出そうと
計画していたのが、出資比率のモンゴル51%案。
しかし交渉の席では結局このことについて一言も触れずじまいで終わってしまった
との事。
また、こんな話も聞きました。
今年の7月小渕総理が来蒙。またその直後に中国の江沢民氏も来蒙。
それぞれ援助の話を披瀝して帰った直後に何が起こったか。
それは、ガソリン不足だったとの事。
ウランバートルの日本人たちは、ただちに「ハハーン」と思ったそうです。
ガソリンと言えばロシア。
そのロシアが、親日、親中、いづれにしても「過ぎたるは」なんとやら。
日・中に対する牽制球とばかりに、モンゴルの石油の元栓を絞ったのではないか。
とまことしやかにうわさが流れたそうです。
このような現実を十分踏まえた上で、日・蒙双方の国益にともに合致する援助
の姿を懸命に模索しなければなりません。
2 近代国家と定住主義
モンゴルの草原には「白いゲル」が良く似合う。
ジンギスカンが生まれるずっと前から遊牧の民はゲルに住み、ゲルとともに移動した。
ゲルの構造を簡単に説明すると、まず骨組みから言えば、天井は唐傘状で、丸い円錐
形をなし多数の細木が骨組みとなる。
側壁は斜めになった格子の細板を蛇腹のように伸ばして骨組みとする。
いづれも簡単に折りたたむことができて、固定は紐で縛るのみ。
これらを羊の毛をたたいて薄い毛布状にしたいわば断熱材で包み、さらにその上を
羊の皮で包む。
ゲルの白さはかつては羊の皮の白さだった。
こんな構造だからゲルは馬車に積んで簡単に移動することが出来るのだ。
そしてゲルの天井の中心には、煮炊きや暖房の際の煙を逃す丸い天窓があけてある。
夏、暑ければ側壁の白い皮をたくし上げて、風を通すことも出来る。
床には、羊や馬の糞を乾燥させ、つき固め、さらにその上にカーペットを敷く。
このように説明すると、ゲルがいかにモンゴルの乾燥した寒暖の差が激しい気候に
適応したものか、そして遊牧の生活に適応したものかが、良く理解できよう。
テレルジ川に沿って出来た、岩山にはさまれた草原を走ったとき、緑の草色と
点々と現れる白いゲル。
そしてゲルの中心からゆったりと流れてくる白い煙。
まさにゲルこそモンゴルの象徴である。
こんなゲルだから今もってモンゴルの生活には切っても切れない。
ラマ教の大僧正倪下がわれわれを謁見したのもゲル(内部は極彩色だがやはり外は
白かった)だったし、ゴンチクドルジ大統領の官邸の庭にもゲルがある。
話では、大統領の母親は官邸にすむのを嫌って、庭先のゲルに寝泊りしていると言う。
いかにもモンゴルらしい良い話だ。
しかし、このようなモンゴルも開放経済のもとで必要な法制度は整えなければ
ならない。
今回国会議長も首相も口をそろえて、投資の必要性を訴えた。
そうなると投資先から回収することも考えなければならない。
そもそも固定資産台帳はあるのか。
住民基本台帳は、等々どうも遊牧の民にはそぐわない諸制度の導入もしなければ
ならないのではないか。
遊牧の生活は、むしろ原始共産主義とでも言えようから、都合の悪いところは
すべて政府が処理する建前の時代にはあまり問題にはならなかったかもしれない。
しかし、個人資産を前提にし、財産を所有権や債権に分離して考える資本主義の
基本は、どうも遊牧の民にはなかなか定着しないのではなかろうか。
時間がなくあまり細かな確認は出来なかったが、このような疑問にしたがって
住民登録や納税の基準ははどうなっているかなどの質問をしてみた。
誰が答えてくれたかは良く思い出せないのだが、記憶によると、たしか羊を15頭
以上(もしかしたら150頭だったかもしれない)持っている人を対象にすると
言った答えが返ってきた。
これまたいかにもモンゴルらしい話だが、投資の先に来る債権回収の立場から言えば、
相当不安になる話である。
3 山羊の「マルヤキ」と魚の「いきづくり」
モンゴルに一番多くいる生き物は羊であり、その次が山羊、馬、そして人間である。
馬の乳から作った馬乳酒は賓客に対する最高のもてなしである。
また、山羊や羊の乳で作った塩気のあるドロッとしたスープは栄養万点であり
身体を温めてくれる。
四年前に植林のボランティアで内モンゴルに行ったことがあった。
そのときは口に合わなかった、これらが今回はそれなりに美味に感じられたのは
ありがたかった。
しかし、困ったのはゴビ砂漠に行ったとき、ゲルの中にうやうやしく持ち出された
山羊の丸焼けには、大いにたじろがされた。
これまた最高の上に最高がつくもてなしであることは大いに理解できた。
調理法は、山羊の腹を裂き中の臓物を取り去った後、拳大の黒光りする玉石を
真っ赤に熱した上で、この玉石を熱いまま腹に詰め込み、腹を再びう縫合する。
そして、次に山羊の全身をくまなくバーナーで焼いていく。
この山羊が、大皿の上で仰向けになり、四肢を上にふんばるようにして出てきた。
大皿は、大人四人で丁重に持ってきたから、相当の重さの大きな山羊なのだ。
その山羊が、野沢団長のほうに向けて置かれた。
私はたまたま団長の左隣に座っていた。
そして私のさらに左には、須藤参議員が座っている。
ゲルの中のことだから、車座である。
ちょうど私と須藤さんは、山羊の横顔と正面からお見合いをするようになる。
バーナーで焼かれたとは言え、顔ははっきりとしている。
目はつぶっているとは言え、生前のおとなしさが伝わってくるような横顔。
そして口先を見ると、何かが出ている。
良く見れば、それはベロ(舌ではなくあえてベロと言いたい)だった。
ベロとわかった瞬間、私の食欲は完全に消滅した。
がまんし切れなくなった私は、ついつい隣にいた須藤さんに小声でささやいて
しまった「須藤さん、ベロが出ているよ」。
須藤さん自身も、山羊が瞑目して出てきた瞬間、耐えきれず「かわいそうだわ。
生きてるのをいっぱい見てきたのにかわいそうだわ」と言ってハンカチで顔を
覆っている。
その彼女に追い討ちをかけるように「ベロ」指摘をしてしまった。
狂牛病のベロ毒素ではないが、「ベロ」を見て彼女のがまんもついに切れてしまい、
気分が悪くなって席を立ってしまった。
なんとなく気まずい雰囲気。
しかし、山羊に圧倒されて、うまいフォローが出来ない。
座を取り持とうと料理の解説をしてくれるが、
例えば「なぜ山羊かと言えば、山羊の皮のほうが羊の皮より丈夫なんですよね。
羊だと簡単に崩れてしまうのです。」と言われても、くずおれた羊をさらに連想して
より落ち込んでいく、無言でうなずくのが精一杯。
そのうち「表皮のついた肉」と「骨付きの肉」が各自のとり皿に山盛りになって出て
くる。
また解説が。「この皮の部分がぱりぱりとして本当に美味しいんですよね。」
確かに丈夫そうな厚紙くらいの皮である。
そして皮の下には白い皮下脂肪が一センチ以上の厚みでくっついている。
そしてその下に普通の肉がくる。
皮の表面には所々毛穴が見えている。
鳥の皮は食べられるのだが、この脂肪と毛穴でさらに食欲は立ち直り不可能になって
しまいました。
そうこうするうちに新鮮な空気を呼吸して須藤さんが席に戻ってきました。
バトバヤル会長も気を使い、「片山さん」を連発して気分を変えようとする。
(彼女が「片山潜」を立派な男だと熱弁を振るった結果、バ会長は彼女のあだ名を
「片山さん」とし、勝手に悦にいっていた)
しかし、バ会長もいつものキレがない。
内心では、一行の誰もが山羊の迫力に負けて手を出さないのを心外に思っているの
かもしれない。
彼らの好意はもちろん世置く理解できる。
普通だったら、挑戦もするのだが。
なにしろ、ゴビ砂漠に来るために列車泊2日、そして砂漠の悪路を時速80キロ以上
で疾走、天井に頭をぶつけながらようやく砂丘にたどり着いたのである。
疲れと、連日の肉の連発、このために山羊の丸焼けと格闘する気迫は、
団員から完全に失われていたのである。
バ会長はさらに、話を続ける。
彼が持ち出した話は興味深かった。
山羊の丸焼きに対して、魚の活き造りの話を持ち出したのである。
日本人もかなり残酷であると彼は切り出した。
そのときまであまり意識しなかったが、モンゴルの国旗にも魚が描かれている。
水のない国モンゴルでは、魚は神聖なものとされているようだ。
そして日本では、魚の活き造りが良く出てくるが、あれはモンゴル人にとっては
とてもかわいそうな気がする。
野沢団長は「活き造りどころか踊り食いもありますよ。」などと調子を合わせながら、
なんとかその場の雰囲気をなごまそうと懸命の努力。
国鉄総裁のシャーさんは、無言のうちに日本のおにぎりを二つ目を注文して
もぐもぐと食べている。
私は、「2個めも頼めば出してくれるのか、総裁は良いなー」などと完全に頭は
うつろな情況。
それから2、3日たってこのときのことをみんなで話していたら、野澤団長が、
国鉄総裁がおにぎりを2個食べたことを記憶していて、さらに「そのとき彼は海苔を
巻いていませんでしたね」などと細かなことまで覚えている。
恐らく団長も山羊の迫力に負けて「心ここにあらず」状態だったのではなかったか。
それにしても「山羊のマルヤキ」と「魚のいきづくり」の対比は面白かった。
日蒙の差を知ると同時に、参加者全員が疲労で朦朧となりながら、人間くさいやり
取りをしていたのだろう。
友好を深めることの難しさを実感すると同時に、共通の時間を共有し得たことで信頼
感がいっそう高まったように感じました。
山羊の丸焼きと魚の活き造りの話は、その場に居合わせた日蒙の国会議員全員の共通
の記念碑となったのである。