国会通信 No.431
【図書券の謎を解く】
2000/3/6 (マンデーレポート第431回の要旨)
【先週の出来事】
■29日(火) 8:00 商工部会 開催
公正取引強化のための私訴制度について
18:30 水島広子 労組選対結成式であいさつ。
■ 3月1日(水)
10:30 英 労働党 下院議員と意見交換。
13:00 参議院 国民生活調査会 開催
少子化をテーマに2名の参考人の意見を聴取した。
塩野谷祐一さん(国立社会保障問題研究所長)
高山憲一さん(一橋大学教授)
《高山さんが指摘した少子化のマイナス面》は重要である。
以下のとおり。
@ 労働力の減少 A甘やかされる子どもと若者 B技術革新の停滞
C貯蓄率の低下 D一人あたりの所得の低下 E市場の縮小
■2日(木) 8:00 知的財産権戦略PT 「ヒトゲノムとベンチャー」
講師 岸宣仁氏。
12:00 情報バリアフリーPT 立ち上げ準備
かねてから提案していた
「高齢者と障害者のためのコンピューター社会を実現する
ためのPT」(仮称情報バリアフリーPT)の設置が
NC会議で承認された。
私は座長につくことになったが、事務局長の堀、副座長の
内藤両参議院議員と初の打ち合わせをおこなうことに
なった。
■3日(金) 10:00 憲法調査会
私も5分間だけ発言した。
発言の要旨は
1)憲法の前文で宣言すべきナショナルゴールの要件は
国民の理想に訴え、かつ経済的な活力をもったもの
こそふさわしい。
その一例
ケネディー「人類を月に送ろう」
→(理想)America No 1
→(経済)科学技術立国
2)わが国の理想は「平和主義」。
憲法9条があるから始めて平和主義が誕生したので
はない。
わが国にとって「それが」ふさわしいからそれを
選んだのである。
司馬遼太郎のこの国のかたちの4「後書き」
第1次世界大戦は戦争の本質がエネルギー消費戦で
あることを教えてくれた。
エネルギーを自給できないわが国は「専守防衛」の
道しかないのである。
3)この平和主義を、21世紀的にどうリメイクしていく
かがポイント。
私は「情報」を通じて世界平和の創造に貢献して行く
事こそ望ましいと考える。発言時間が足りなかった。
12:00 民主党女性支援基金設立1周年記念パーティー
■4日(日) 10:00 連合栃木 春季生活闘争 総決起集会であいさつ。
【図書券の謎を解く】
■図書券の謎
● 新潟県警本部長と関東管区警察局長の不祥事、そしてこれに対する国家公安委員会の
対応のまずさは国民の激しい批判を浴びた。
●まず、「図書券マージャン」について言いたい。
管区局長と県警本部長がマージャンをやった。そして図書券をかけたそうである。
なぜ、ここで図書券が出てくるかである。
法律家としてはつい余計な想像をしてしまう。
それは刑法185条(賭博罪)の但し書きの規定である。
●「賭博をした者は50万円以下の罰金または科料に処する。
ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」
これが刑法185条の賭博罪の規定である。
●まず賭博罪の本質は、偶然の結果に左右されて、賭けたものの取得が分かれること
を言う。
したがって仮に会費制でやったにしても賭博は賭博である。
だから、県警本部長と管区局長の賭けマージャンは賭博罪にあたる可能性は大いにある。
●問題は但し書きである。「一時の娯楽に供する物」とは何かである。
判例は「関係者が即時娯楽のために費消するような物をいう」と解釈した。(大審院昭
4・2・18)たとえば、コタツの上にみかんの籠があり、一位にはみかんの半分、
2位には4分の一などと、その場で食べてしまうものなどその好例である。
このような娯楽のために「即時費消」してしまうものを賭けても賭博罪にはならない
のである。
● 一方で、現金だったらどうか。
実はこれには判例がある。
大正13年2月9日の大審院判例である。「金銭は、その性質上一時の娯楽に供する物と
はいえない。」として、判例は現金を賭けたなら、その金額の多い少ないを問わず、
ただちに賭博罪が成立するとしている。
だから、もし現金を賭けていたのなら、参加者が会費として払ったものであろうと
これは賭博罪なのである。
だからこそ現金ではない図書券にしておかなければならなかったのではないか。
● 現金を賭ければ直ちに、賭博罪。
しかし現金以外の一時娯楽に供するものなら賭博ではない。
司法試験に良く出てくる、この条文を誰かがとっさに思い出して、たまたま
誰かが持っていた図書券を使ってつじつま合わせをしたなら、反吐が出るほどの悪知恵
である。
●しかし、図書券でも問題である。判例は「娯楽」「即時」「費消」といった要点を
揚げている。
図書券は、その場で食べてなくなってしまう物ではない。娯楽に限ったものでもない。
時間とともに消え行くものでもない。
長期間に渡って、書店に持っていけば、券面額までの書籍を入手できる言わば、
現金と同様のものである。
但し書きの適用はむしろ無理なのではないだろうか。
● このように考えると、図書券の入手が誰によって、どこからなされたのか、その購入の
もとではどのように作られたのか、そして勝負の結果誰にどのように分配されたのか、
など克明に明かにすべきである。
■キャリアの君臨する警察組織
●さて、問題の本質は、警察が守るべきは何かである。
県警本部長と管区警察局長の行動は、まるで警察が守るべき最大の対象を警察自身に
おいているかのようだ。
キャリア同志の「なれあい」、「かばいあい」、「うそのつきあい」、こそ一連の警察不祥事
の基調である。
●国家公務員上級職に合格した500人のキャリア。
そしてその余の22万人の一般警察官。
500人÷22万人=0.22%
1%にも満たない 別格のエリート集団が、 実務経験のとぼしさをものともせずに
出世街道を驀進する、 このような現在の警察組織の基本的な特徴に問題の根源が
潜んでいる。
たとえば、圧倒的な格差の中で、エリートの暴走をチエックする
内部批判の力すら奪われてしまっているのである。
●まずはこのような警察の組織的特異性に抜本的なメスを入れるべきである。
しかし、制度改正に目をそらして、今回のさまざまなミスの当事者たちの責任を
ぼかしてはならない。
■国家公安委員会の存在理由は?
● たとえば国家公安委員会である。
一部のマスコミには「公安委員会は国民の感情論で判断をすべきではない」といった
論調が当初見うけられた。
さらに国家公安委員会の委員の中にも「国民の怒りに引きずられないように」
といった抑制的な発言も見られた。
●しかし「国民の感情」を軽く見てよいのだろうか。
これはむしろ軽佻浮薄な一時的な感情ではないことを知るべきである。
● 警察が守るべきは「個人の権利と自由」(警察法1条)である。
しかし、県警本部長と管区警察局長が行った行為は、この警察の本務を忘れ、また監察
のための出張を物見遊山としたまったく恥ずべき行為である。
神奈川県警以来の一連の不祥事を反省して行われた監察行為のはずが、キャリア同志の
接待に化けてしまった。
そのことへの怒りなのである。
これを単なる感情論で軽視しようとすることこそ、あやまった警察擁護論でしかない。
単なる一時的な、そしてすぐにおさまりがつく怒りではない。
国民の正当な怒りであり、適格にして激烈な批判なのである。
●また公安委員会の各委員も、公安委員会の意義を正確に理解していたであろうか。
民主警察は、「不偏不党かつ公平中正」(警察法2条2項)でなければならない。
国家公安委員会が、警察の頂点に置かれ、独立行政委員会の代表とされるのも、
この要請に応えるためである。
感情論にふりまわされることへのおそれを言った委員の論調には、
今回の問題が政治問題化することへの警戒感があったと推測する。
しかし、委員長始め委員諸氏は、「不偏不党かつ公平中正」の意味を
正確に理解していただろうか。
● 確かに野党は県警本部長と管区警察局長、そして公安委員会自体の対応を問題とし、
最終的には総理の政治責任を問う事になるのは、民主主義の政治である以上当然である。
しかし、それは政治的な意図が先行したものではない。
問題の本質は、県警を監察すべき管区警察局長みずからが接待を要請した事なのである。
まさに、国家公安委員会の監察機能を、管区警察局長と県警本部長が共謀して
そこなったのである。
警察機構を政治的に利用しようと言った側面はまったくない。
警察機構の自浄能力そのものが問われる問題なのである。
●しかし、国家公安委員会の判断も大きく誤ったと言わざるを得ない。
まず、警察庁長官は、管区警察局長の辞職を認めた。そして、自分が辞職するように
仕向けたのだから実質は懲戒と同じなのだと説明した。
しかし、法律的には依願退職なのだから退職金は支払われるとした。
すなわち「依願退職」を「引責辞任」にすり変えようとしたのである。
そして、国家公安委員会は、このような警察庁長官の処置をそのまま追認した。
国家公安委員会の一人は、人に言われて辞職するのは「腹きり」と同じなのだから、
といったおよそ前時代的な釈明すらあった。
「はらきり」に事よせて、退職金の支払いを是認しようとしたのであろうか。
まさに、国家公安委員会まで、キャリア組みの論理に巻き込まれてしまったのである。
同じ穴の、、、ではないか。これでは国民が怒り心頭に達するのも当然である。
■張子の虎の公安委員会
●警察法5条は、警察機構の頂点に君臨する国家公安委員会の広汎な権限を規定する。
また15条は、「国家公安委員会に、警察庁を置く」と規定し、警察は明らかに
国家公安委員会の下部機関と位置付ける。
さらに警察庁長官(16条)と、都道府県警察のトップ(警視総監=49条、県警本部
長=50条)の任免権を持つと規定する。
表面上は国家公安委員会の権限は強大である。
● しかし、このような強大なはずの権限は実は張子の虎である。
2点指摘する。
1)国家公安委員会に直属する事務機関は事実上存在しない。
それは警察法13条が「国家公安委員会の庶務は、警察庁において処理する」と
定めていることで明かである。
これは公安委員会が監察業務を行う際も例外ではない。
警察庁の助けを借りて、警察庁を監察する、これでは、公安委員会独自の監察
などできるわけがない。
2)前述の通り、公安委員会は中央の警察機構の頂点の警察庁長官と、
川下の都道府県警察本部長の任免権は持っているが、警察庁活動の実質的な権限
を発揮する官房・5局(生活安全、刑事、交通、警備、情報通)のトップの
任免権は警察庁長官の専権である。
このことは部内での実質上の発言力は警察庁長官が圧倒的である事を意味して
いる。
まさに国家公安委員会は裸の王様である。
テレビでもよく写されたが、警察庁と国家公安委員会の看板が上下ではなく並列
であったことに象徴されている。
このような警察法の抜本的な改正をなすべきであろう。