国会通信 No.456
【インド視察記】
2000/9/11 (マンデーレポート第456回の要旨)
1 はじめてのインド
9月2日(土)午後12時、エアインディアに搭乗し、
バンコク経由でデリーに向かった。
民主党IT革命推進本部の先遣調査団としてインドのソフト産業を中心に、
IT産業への取り組み状況を視察してくるのが目的である。
同行は参議院議員の内藤正光さんと、彼の秘書の浅野さん。
2 生命のあふれる国 インド
大統領官邸の鉄門の前で写真を取っていると、
右手の大樹をすみかとする猿がゾロゾロと列を作って移動してきた。
その数の多さ、小猿もいれば老猿もいる、そして子を背中に乗せて
悠然と歩く母猿もいる。その光景に度肝を抜かれた。
ここは山奥ではない、首都の中心のはずなのに、、。
これらの猿は狂犬病の病原菌を持っているとのこと。
噛まれたら大変だ。
路上には放し飼いの牛がゆったりと歩いている、
中央分離帯にも歩道にも牛が寝そべっている。
オートバイが引っ張るモーターリキシャがひしめき合い、
バイクと自転車と人が縦横無尽に道路を走り回り、接触事故を避けるために
バックミラーを取った車が10センチの間隔で疾走する。
人と動物が氾濫している。
フマユーン廟は、タジマハールの原型となったところだが、
うすぐらい中に足を踏み入れると異臭が漂い、足下には無数の黒点が、、。
さらに踏み込むと、犯人がようやく分かった。
壁一面にこうもりがいる。
異臭は恐らくその排泄物のにおいのようだ。
邸内にはリスが木で遊んでいる。
しかし油断はできない。
このリスも狂犬病の病原菌を持っているとのこと。
とにかく人も動物も、病原菌さえもあふれている。
インドは生命の種にあふれている。
インドは、生命の氾濫するところだと感じた。
インドの人口はいまや10億とも言われる。
全人類の6人に一人がインド人であり、またもう一人が中国人なのだ。
まずは、この巨大なあふれかえる人間の多さこそ
インドの基本的な出発点なのである。
巨大な人口を擁しながら、この国では餓死者を出した歴史を
持たないと聞いた。多くのインドの人々はカルマという輪廻転生の哲学を持つ。
そして、前世の悪はかならず現世に姿をあらわすと考える。
目の前に物乞いをする人を見ると、前世の悪業が
今の彼の不幸をもたらしたと考える。
そしてもし自分が、その人に施しを怠れば、
それは現世の悪業となり来世の自分にかならず報いが来ると考える。
このようなヒンドゥーの教えが「施しの哲学」となって
インドの社会を支えているとの印象を持った。
確かに貧しい人々も多い。
しかし、意外に絶望の表情は見られない。
3 ITの翼をつけ 象は眠りから覚めた
インドは1991年、湾岸戦争のもたらした海外出稼ぎ労働者の
逼迫を契機として苦肉の策の市場開放、規制緩和政策に一歩を踏み出した。
そして、ひしめき合う人々のパワーは、いまやソフトウエア産業を突破口とし、
世界全体のIT革命のうねりにのって大きな経済的な変身を
とげよういとしている。
まさに眠れる巨象は、ITの翼を得て、大きく飛躍しようとしているのである。
インドソフトウエアの産業の発展:輸出と国内マーケット
(単位百万ルピー 1ルピー≒2.5円)
国内売上 輸出額 合計
1994-95 10.700 15.350 26.050
95-96 16.700 25.200 41.900
96-97 24.100 39.000 63.100
97-98 35.100 65.300 100.400
98-99 49.500 109.400 158.900
4 日本の問題点
しかし、このようなインドを巡る世界的なITの動きに
乗り遅れようとしている国がある。
それがわが国である。
インドのソフトウエアの輸出の60%はアメリカ、
25%がヨーロッパ、そして日本はわずか3.5%にすぎないのである。
表面的な理由としては、インドは英語を公用語としている事や、
日本との距離の遠さ、1961年以降インドは東西冷戦構造のなかで
東側に位置した事、などをあげる向きが多いが、
果たしてそんな表面的な分析だけですむことなのだろうか。
今回の視察で 私はもっと本質的な危機感を感じた。いくつかあげてみる。
■1 IT革命は、ソフトウエアの重要性を飛躍的にあげた。
コンピューターの中心はソフとウエアであることは当然であるが、
いまやモノづくりすら、ソフトウエアは切り離す事ができない
密接な関係になっている。
(すべての家電製品のなかにコンピューターがしこまれていることを
考えれば、このことはすぐ理解できるだろう。)
■2 すなわちIT革命下の産業は、膨大なソウフトウエア技術者に
よって支えられざるをえない。このことは二つのことをもたらす。
まず第1に、ソフトウエア技術者確保のための世界的な競争の
出現であり、第2には、ソフトウエアに関する国際的な
分業体制の進行である。
以下に述べるとおり、日本はこの2つの事態に対して大変な遅れを
とってしまった。
今回のインド訪問で私はそのことを強く実感させられた。
■3 まずソフトウエア技術者確保のための世界的な競争について述べたい。
1)はじめに、ソフトウエアの技術者の数は二つの意味で無限ではない。
まず独創的・想像的な設計の初期段階では、分進秒歩のIT革命の
進度に負けない超高度な頭脳が要求される。
このようなソフトウエアの川上(かわかみ)分野に必要とされる
優秀な頭脳は世界規模で数は限られているから、
激烈な奪い合い、青田刈りの世界となる。
2)他方、このような川上分野ではなく川下の分野もある。
たとえば2000年問題の処理など、実際は単純な
手仕事的・反復作業をえんえんと繰り返す作業も重要である。
コンピューターのソフトが最初からすべてを網羅してできる
わけではない。バージョンアップの都度、新しいソフトが
出現していない隙間を埋めて行くための、気の遠くなるような
単純作業が必要とされる。
このようなソフトウエアの知的なイメージとはかなり
遠い単純労働に耐えうる膨大な技術者群も必要となる。
こつこつキーボードを打ちつづける根気強い技術者を
大量にそろえることは、先進国であればあるほど困難になっている。
以上の二つの意味で、ソフトウエア技術者はIT革命が進行すれば
するほど慢性的な不足となるであろう。
3)インドは、このような世界的なソフト技術者不足の問題に対して、
川上・川下両分野で対応できる国なのである。
まず、川上分野の人材であるが、インドにはIIT(インド工科大学)
という10億の人間の頂点に位置する優秀な頭脳を集めた
最高の工科系大学がある。
「IITに落ちてもMIT(マサチューセッツ工科大学)に行けば良い」
という声が聞けるくらい優秀な人材を集めている。
さらに各州にはそれぞれの工科大学があり、
さらに工科大学に入らなかった人や、入れなかった人のための
NIIT等の民間の専門学校があり、権威あるNIITのディプロマ
(終了証)をもらって就職を有利に進めようとする学生たちが、
他校に通いながら20万人もひしめいている。
このように毎年7万人ほどのソフト技術者を輩出できているところは、
世界広しといえど、インド以外には見当たらないのである。
だからこそ、アメリカやヨーロッパのIT関連の有力企業は、
このインドのソフト技術者を、川上はもちろん川下まで含めて、
確保しようと血眼になっているのである。
4)この事は、実は先見性のあるインドのリーダーたちもしっかり
と見ぬいている。
たとえば、ハイデラバード市のあるアンドラ・プラデシュ州の
首相ナイドウ氏もその筆頭である。
彼のリーダーシップで1996年10月に誕生したIIITは企業と
教育が融合した大変ユニークな非営利の教育機関である。
参加企業は、学内にコーポレートスクールを設置する。
また学生たちは、企業から要請のあるリサーチに携わる。
これらのプロセスで、学生は、企業から提供される最先端の
知識や技術を学び、また企業は学生に対する絶好のリクルートの
機会を得ることができる。
IIITはこのようにして教育をしつつ産業誘致をし、
また将来のベンチャー企業家の養成機関の役割も果たす。
しかも、最先端の知識を提供する教師の人件費は当然企業の負担となる。
実に合理的な制度である。
このようにしてIIITにはすでにIBM、オラクル社、
マイクロソフト社、シスコ社、モトローラ社、メタモル社等々の
錚々たる企業が参加し、自ら学内に独自のスクールを作って
学生たちを懸命に教育しているのである。
またインドの工科大学の大学院は18ヶ月であるが、
6ヶ月は最先端の企業に行って実務に参加する
インターンシップが義務付けられている。
日本でも同種の制度はあるが、週に1日程度でかけている程度では、
企業にとってもお客様扱い。
しかし、インドでは独自のソフトウエアを完成することが
課題として設定されている等徹底した実務の経験を
つまねばならないようになっている。
5)さらにもうひとつ重要な事は、ドッグイヤーと言われるほどの
科学技術の進展に対し、このような大学と企業の連携が
あってはじめて効果的に対応する事ができると
いうことである。十年一日のごとくふるいテキストを教える
教育者が多いのがどうもわが国のようで、これと比較すると
インドの柔軟な産学連携の姿勢は多いに参考になる。
■4 次にアウトソーシング(外注)の必然性である。
いまGSOすなわちグローバル・ソフトウエア・アウトソーシング
が常識となってきている。
なぜなら、ひとつはIT革命が進行するほど世界的な
ソフト技術者不足となり外注をせざるをえなくなってきた事、
そして、そのような中でも製品開発の基本的な部分はできるだけ
本社の開発部門によって行いたいと考えている事、
この二つのことがソフトウエアのアウトソーシングを
常識化してきているのである。
■5 しかし、日本は、欧米と比べてインドソフト産業の輸出先
としての%は低い。なぜだろう。英語と日本語、
距離的な遠さ、東西冷戦構造の枠組み等々の理由で、
インドのソフトウエア産業との連携が出遅れた事は否めない。
しかしそれだけだろうか。
以下に何点か指摘するが、これらはIT革命の進行するなかで
日本の意識改革が問われつつあることを
示しているのではなかろうか。
日本はIT革命のなかで容赦ない自己革新を迫られている。
これに遅れるとき21世紀の日本はますます孤立しかねない。
1)IT革命はすさまじいスピードでばく進している。
そのなかで進んだ国と遅れた国の逆転現象は以外に簡単に
起こりうるかもしれない。進んだ国とは、IT革命の先端から
振りかえって眺めると、老朽化したシステムによって
金縛りになった国でしかない。
日本の大学教育がIT革命の進度に追いついて
行けないのはその象徴である。
2)またIT革命は世界を一元化することで、
共通の文字(=コンピューター言語)による緻密な
コミュニケーションを必須のルールとした。
ソフトウエアとは、シンプルな言語の膨大にして緻密な連続である。
このように考えると、ソフトウエアはまさに表出された言語に
よるコミュニケーションであり、表に出た言語がすべてである。
これに対して同質的なわが国の文化の傾向は、むしろ表出されない
言外の意味にこそ重きを置いてきた。
以心伝心の文化は、たとえば企業にあっても一脈通じている。
「名人芸・職人わざ」に頼ったものづくリ、製造の現場で見られる
マニュアル・仕様書の過小評価、これらはアウトソーシング
(=外注)を妨げている重要な一因を成しているのではないだろうか。
なぜなら、作業行程を明瞭な言葉で切り分けられなければ、
そもそも一部分のみの外部発注は困難となるからである。
いっぽう、たとえばアメリカはマニュアルの国である。
言語や慣習が異なる多様な国民の間で混乱なく物事を進めて
行くためには、きちんとしたマニュアルを明瞭にしておくことが大切である。
だからこそ、アウトソーシングの前提となる作業の
切り分けも可能となるのではないか。
IT革命のもたらしたソフトウエア技術者の世界的な不足は、
これを解決するためのアウトソーシングを盛んにし、
これがインドのソフト産業の急激な成長をもたらした。
これが今回のインド視察の率直な結論である。
そして、そのインドのソフトの輸出先としてのわが国への実績は、
アメリカの20分の1、EUの8分の1でしかない。
この事実の裏側に、アウトソーシングが不得手な
日本の企業文化があるとしたら、これはゆゆしき問題である。
なぜなら、それはわが国の文化とIT革命がなじみずらいことを
意味しているからである。
3)もうひとつインドのソフトウエア産業とわが国の連携が進まなかった
理由を、わが国の妥協を許さない商慣習にあるとする意見もあった。
納期を厳密に守り、少しの遅れも容赦しない。
また完璧な納品を求め、注文を少しでも欠くと返品する。
これに対し、アメリカなら多少の不完全履行があっても、
使うことのできる限度で代金を支払って引き取ってくれる。
こんな話を聞いた。
日本企業の論理ももちろん分かる。
しかし、インド企業の立場も理解できる。
自己の流儀をとことん固執するのも限度があるであろう。
4)文化・習俗についての無理解
ベジタリアン(菜食主義者)のことを野菜を食べる人と
のみ理解している。
肉野菜炒めの中から肉をのぞいても、
肉汁が入ってしまっているから野菜であっても食べない。
これがベジタリアンである。
多様な文化的な価値を尊重する気風が大切である。