国会通信 No.499
【豪州 NZ 視察】
2001/9/3 (マンデーレポート第499回の要旨)
【豪州 NZ 視察】
8月22日午後10時に成田をたち、31日午後6時に帰国するまで、オーストラリアと
ニュージーランドを視察してきました。
参議院の議院運営委員会の山崎委員長を団長とする調査団の一員として、
両国の議会運営の実態を中心とし、さらに両国の戦争の歴史の取り扱い方や、
自然保護の実態、日本人補修学校の実情など、多方面にわたって視察してきました。
まず、今年一月から日本の国会でも始められた党首討論(このことを、英国議会に
ならって「クエスチョンタイム」=以下QT=と呼んでいます。)が両国でどのように
行われているかが視察の大きなポイントでした。
また、小泉さんの靖国参拝問題で大きくクローズアップされた歴史の問題が、
両国でどのように取り扱われているかが、ふたつめのポイントでした。
この過程で、いままであまり意識していなかった、第2次大戦における両国と
日本の歴史の一断面を知ることができ、大変有意義な視察でした。
まずは、簡単にご報告します。(日程は後記)。
【刺激的な議会運営】
両国とも、QTをいわば「議会の花」として、大変活発な議会活動を展開。
またニュージーランド(以下NZ)は、その徹底した規制緩和と民営化戦略
でいまもって、世界の注目を集めている。両国のエネルギーの源は議会にある
と実感。以下特に印象の強かった点、、、。
● 多くの傍聴者
・「議会の花」QTを両国で傍聴してきた。
・驚いたのは、議場を取り囲む傍聴者の多さである。
・両国とも、議席は「馬蹄型」。U字型の真ん中にセンターテーブルがあり、
議長の向かって左に与党、右に野党が対面して着席する英国型。
・本会議場に着席する議員たちを監視するかのように、三面に一般傍聴席が
ある。(議長の背中側はプレス席)
・数えたら豪州議席では、一面に約150席以上。3面で500人近い傍聴席が
満席近かった。NZも規模は少し小ぶりだが、傍聴席の多さは同様である。
・議員の数を大幅に上回る傍聴者が熱心に見つめている。
ギャラリーが多ければ議論に熱が入るのは東西変わらぬ政治家の本能。
・日本の党首討論の傍聴席は、ほとんどゼロに近い。これではだめだ。
増やす工夫が必要である。
・また一般に日本の議会の傍聴席は少なすぎるし、傍聴席と議席の距離が
ありすぎる。大きな改善点である。
●子どもたちも熱心に傍聴。
・そして生の論議を見つめる多くの子どもたち。小学校高学年が中心。
本当に「生きた」政治教育が行われている感じだった。
・これに比べ、日本の小学校の見学は、議論を見せるのではなく、
むしろ国会の建物を中心に見学。
・日本の国会を見学した小学生には、国会は、「法隆寺」や「東大寺」と
変わらない歴史的遺産・遺物と見えるに違いない。
・国会の本質は、建物ではない。議員の激烈な論議であるはず。
・子どもたちの国会見学の基本を改めるべきである。
・参議院は衆議院にさきがけて「こども国会」を行った。これは
評価できる。しかし、議員の現実の活動を見せることも重要。
議運であらたに論議すべきである。
●党首対決
・日本の議会で今年から始めた党首討論は、英国型であると気がついた。
豪州・NZでは、党首対決もあるが、質問者と答弁者も、党首には
限定していない。したがって、日本の予算委員会のような感じ。
●全員参加のQT
・日本は、議員の数が多いこともあって、党首討論は、両院合同の
国家基本政策委員会で行っている。総勢50名。
・しかし、両国のQTは、本会議場で行われ全議員が参加する。
・オーストラリアは二院制。QTはそれぞれの本会議場で開催。
NZは一院制。
・豪州議会は上院の定数76。下院は148。
NZ議会は120名。いずれも日本よりもずいぶん少ない。
だから全員参加のQTができるのだろうが、
日本もQTの活性化の観点から、もっと参加者の数を増やすべき
であろう。
●質問通告と、通告なしの関連質問
・NZ議会では、その日の朝10時までに簡単な質問通告を提出。
その数は12問。
・活発な関連質問。これは通告なし。
・冒頭の重要な時事的な質問については、立て続けに4、5問の
関連質問が出る。ここが一番面白そう。まさに真剣勝負である。
・関連質問者は、他党でもかまわない。その採否はすべて
議長が行われる。
● 絶大な議長権限
・Order の一声。これは「静粛に」の意味である。
・関連質問の指名は議長の専権事項。
・議長が立ち上がれば、「静まれ」の意味。ある意味で最後通告。
従わなければ「退場」命令も。
・議長は三権の長として、まさに絶対権限を持っている。
【歴史を大切に】
小泉さんの「靖国」効果というべきか、わが国において再び歴史認識の
論議がもりあがった。今回の両国視察にあたって、期せずして、両国の
歴史問題への取り組み状況が視察の大きなポイントとなった。
両国の首都にある記念館は、歴史展示と兵士への慰霊の両機能を持っ
ている点で共通している。今後の日本の取り組みに有意義な示唆を
与えてくれている。
● キャンベラの町づくり
・豪州の首都キャンベラは、二大都市シドニー・メルボルンが首都を
互いに譲らず、政治的な妥協のうえで新建築された政治都市。
・新都は戦争記念館と国会を縦の中心軸として設計された。
どれだけ、戦争の犠牲者への慰霊と、戦争の歴史を大切にしているか
よく実感できた。
●戦争記念館
・戦争記念館は、正面に国会が見通せる高台に立っている。
・「無名戦士の慰霊碑」「戦死した全兵士の氏名が刻まれた碑」
「戦争の歴史展示」「歴史研究機関」が一体化している。
・もちろん特定の宗教形式はない。
・戦死した兵士たちは、アルファベット順、戦争毎に整理され
記念館全体を取り巻くように整然と名前が刻まれている。
・それらの兵士の肩書きはない。名前のみである。
・おとづれた近親者が着けたのか、赤い小さなバラ?が多く
着けられてあった。
・展示は充実している。
特にNZとの強い連帯関係が生まれたといわれる第1次大戦の
バルポリ?戦争や第2次大戦の日本軍とのさまざまな関係が
充実している。
・日本関係の展示で印象に残ったもの。
1) 特攻隊兵士の妻にあてた手紙。(涙なしには読めなかった)
2) シドニー湾に潜入した特殊潜航艇の実物大レプリカ及び
当時のフィルムをもとに作られた映像。
3) 日本軍兵士に斬首される寸前の豪捕虜?の目隠し正座して
いる写真。
かつて見た韓国の独立記念館よりも、抑制された感じ。
かなり充実している。また工夫されている。
・毎年5万ドルの国からの補助。展示は更新され続けている。
シドニーの特殊潜行艇関係もつい最近新整備されている。
●知らなかった日豪の戦史
私は豪州訪問はこれで確か4度目になる。しかし、戦争の歴史に
ついてはほとんど意識したことはなかった。自分の不勉強と不明を
強く反省させられた。
反省の意味をこめて、簡単に日豪の太平洋戦争の歴史を整理しました。
1 ダーウインへの空襲
1942年 2月19日。
爆撃機54機 戦闘機等188機。
60有余回の爆撃。
死者243名(民間人も含む)。負傷者500名。
艦船・航空機の破壊 多数。
豪州 本土空襲の初めての経験となった。
2 シドニー湾の特殊潜航艇
1942年5月31日。
3隻の特殊潜航艇 シドニー湾に潜入。
うち2隻は結果として自爆。
1隻は魚雷発射 湾内停泊中のホテルシップを大破。
死者21名 負傷者10名。現在まで行方不明。
翌月の6月2日 2隻は豪州海軍の手により引き上げられ、
部内に反対論もあったが、2名の日本軍人に対し海軍葬が実施。
遺体は荼毘されたのち、同年10月日本の遺族に届けられた。
現在も 海軍基地内に慰霊碑あり。年1度慰霊祭が行われている。
毎年総領事は献花。
新しい展示。昨年オープン。
3 カウラ日本人捕虜収容所
1944年8月4日。
シドニー西方300キロにある同盟軍捕虜収容所。
収容されていた日本人捕虜が暴動・集団脱走。
日本人捕虜231名死亡。170名重傷。
経過 同日午後、収容所側は、日本人捕虜を一部移動する旨伝える。
疑心暗鬼。
強硬派は反乱を主張。記名投票の結果8割が賛成。
収容所付近の「日本人墓地」に埋葬され、日本人文化センター等も
整備、毎年10月 日豪双方の手で慰霊祭実施。
4 旧日本軍捕虜収容所
日本軍の捕虜となった豪州兵等の数
シンガポールで収容 15000名
ジャワ 〃 3000名
ティモール 〃 1000名
アムボン 〃 1000名
ニューブリテン〃 1000名
合計 22376名
収容環境は総じて劣悪。
捕虜への強制労働禁止違反(泰麺鉄道建設など)。
約8000名(36%)が収容所内で死亡。
(独伊の捕虜となった豪州兵の死亡率は3%)
サンダカン「死の行進」のような悲惨な例も。
(1945年初頭、北ボルネオ、サンダカン飛行場の
強制労働に従事させられていた2000名の捕虜が、
260キロの徒歩移動を命じられた。
3週間にわたってジャングルを歩かされ、終戦まで
生き残ったのはわずかに6名。
キーティング前首相の叔父もその一人。)
========= 主な視察内容 ==========
■23日(木)(キャンベラ)
†豪州 国会 上院・下院のクエスチョンタイムを視察。
†上院議長のマーガレット・リードさんと意見交換。
† 〃副議長 兼 議院運営委員長のスー・ウエストさんや
各党代表の議運メンバーと意見交換。
■24日(金)(キャンベラ)
†オーストラリア戦争記念館訪問。
†無名戦士の慰霊碑に献花。
†戦争記念館内を視察。
†ティドビンビラ自然公園視察。
■25日(土)(オークランドに移動)
†在NZ邦人の皆さんとの意見交換会。
水野総領事・竹内敏さん(住建日商専務)・
藤光由子さん(日本語アドバイザー)
ウォーレン・ペインさん(牧師)など参加。
■ 26日(日)(オークランド)
†オークランド戦争記念博物館 視察。
■ 27日(月)(オークランド)
†ムリワイビーチ かもめの群生状況を視察。
†日本語補修学校視察。
†首都ウエリントンに移動。
■28日(火)(ウエリントン)
†NZ議会事務局次長(アリッサ・ソルト氏)との質疑応答。
†クエスチョンタイム 傍聴。
†NZ議会議長ジョナサン・ハント氏と意見交換。
†日本・NZ友好議連会長のジョン・ラクストン氏と意見交換。
■ 29日(水)(ウエリントン)
†NZの牧場視察。
†シドニーに移動。
■ 30日(木)(シドニー)
†日本酒醸造工場 視察。
シドニー市の西のはずれ。小西酒造の出資会社あり。
SUN MASAMUNE。
酒米は豪州産のジャポニカ米。値段は日本の6分の1。
ブルーマウンテン山脈の水は軟水ながら清冽。
空気が清浄、、、発酵には良い環境。
†オリンピックスタジアム見学。
大林と現地企業のジョイントで建設された
オーストラリアスタジアムを中心に見学。
設計コンペで勝った理由が、オリンピック終了後のコストダウンの
ための改造等の再利用計画が優秀であったとのこと。なるほど。
巨大施設は、イベント終了後のメンテナンスこそ重要であると納得。
■ 31日(金)
†ホテル午前7時半に出発。
†日本時間午後6時成田着。
3日前、妻が左足首骨折。大丈夫というも心配。
麹町の宿舎に戻り旅行中の衣類を洗濯後、宇都宮に戻る。
■1日(土)
†全農林労組 宇都宮分会 第14回大会に出席。
■2日(日)
†宇都宮西部学童野球大会で顧問として挨拶。
†毛塚吉太郎 佐野市長の葬儀に参列。
氏は、私が県議2期め、民生常任委員会の副委員長を務めたときの
委員長だった。佐野ラーメンを全国ブランドに高めた功労者。
心から御冥福をお祈りします。