国会通信 No.581
【自由党合流問題 私の考え】
2003/6/9 (マンデーレポート581の要旨)
【セクハラ問題と隠蔽体質】
【自由党合流問題 私の考え】
【訴追委員会の改革】
【傍聴人への過剰警備はおかしいぞ】
【今週の主な行事】
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【セクハラ問題と隠蔽体質】
●参議院事務局のセクハラ問題について、事務総長から
報告を受けたのが30日金曜日の午前中。私が、議運の野党側
の筆頭理事と言うことでの対応であることは明らかだった。
●その際、セクハラ被害者のプライバシーに配慮した上で、
マスコミへの公表の準備をするよう進言した。隠したくても
隠せるものではないし、公表をためらううちに事態はさらに
悪化すのが普通だからである。
●私の予想したとおり、発信日付6月1日午前0:08の告発
メールが、議長から始まって各党の主だった女性議員や、
与野党の議運関係者に打たれた。そのことを2日(月)に
事務総長と人事課長に指摘し、一刻も早い公表を迫った。
●火曜日の議運理事会は1時間弱、この問題で議論したが、
与野党間で、「議運としての公表の適否」、「議運での処分の
妥当性についての精査」について意見の一致は見られなかった。
議論の経過は以下の通りである。
●6月3日(火)12:30 議運理事会:セクハラ問題についての
議運での論議は以下の通りであった。
★まず明日の本会議日程について決定。
「その他」のところで 委員長が事務総長を指名、
事務総長は5月15日に起きた事務局部内のセクハラ問題について
口頭で報告。
★報告の概要は
1 事案は、5月15日に行なわれた職員の永年勤続者への表彰の後
行なわれた1次会(赤坂すし屋)、2次会(赤坂カラオケ店)の
席上、課長ら幹部2名が女性職員(複数)に対し、胸を触る、
抱きつくなどのセクハラ行為を継続し、それに対して同席した
職員複数も黙って見過ごしたこと。
2 処分の内容は、課長は26日付で依願退職、もう1名の幹部は
減俸3ヶ月、戒告1名、訓告8名。
3 今後の再発防止策
★早口の事務総長発言ののちに、私は以下の5点の提案をした。
この提案は、私個人レベルのものではなく、国対委員長と協議のうえ
のものであった。
★提案した5点とは
1 セクハラ被害を受けた女性職員のプライバシーを尊重しつつ
マスコミへきちんと公表すべきである。
2 議運理事会に対しては、処分を受けた者の氏名、処分内容を
詳細に明らかにすべきである。
3 処分の当否については議運理事会で精査する。
4 再発防止策を徹底させる。
5 セクハラ被害を受けた職員のケアを充分に行なう。
★以上の5点を提起した上で、最後にくれぐれも議運理事会が
この問題の隠蔽に関わったかのような印象をもたれないよう
細心の注意を払うべきであると主張。
★5点について、特に「マスコミ公開」と「処分内容の精査」に
ついて複数の与党理事から、異論が強く出た。
その要点は以下の通り。
1 「公開」が、被害者のことを追い詰めることは良くあるケースである。
慎重にすべきだ。
2 議運は、議長の職責を補佐するのが仕事。職員を指揮監督する
最終責任と最終権限は、事務総長にある。「考査委員会」の審議も
経た上での処分なのだから、議運としては、処分内容の当否について
精査する権限もないし、必要でもない。
★この異論に対し、私は反論。
1 マスコミへの公開についてだが、
すでに告発メール等も関係議員のところに届いており、職員間でも
内容の不正確なメールが飛び交いつつある。公開を遅らせれば
かえって問題を複雑にし、さらにセクハラ被害の傷口を深くしかねない。
公開によってマスコミや社会の批判を受けながら、事務局の
体質改善をすべきではないか。
2処分内容の精査について、議運が関与できないとの考え方はおかしい。
参議院の事務局職員は国家公務員であるが、行政府の職員ではなく
立法府の職員である。すなわち、職員の任命権は事務総長にあるが、
その事務総長を選任するのは、参議院の本会議である。したがって
事務総長の事務処理について、院を代表して議運が監督するのは当然である。
★議論は平行線。最終的にこの問題は各派持ち帰り、継続協議となった。
★この日の議運の理事会が開催される前に打ち合せがあった。
そのとき議運の担当職員から「事務総長が報告するようです」と
告げられていた。私は当然だと思った。
しかし、それに続く言葉には耳を疑った。
「事務総長の報告は、秘密会で専門委員の人事をやった後に
行なうようです。」
★私は驚いた。もし「秘密会」でこの報告を聞くことになると、
当然それは秘密保持の対象となる。「秘密会」となれば、当然
秘密漏洩を禁止するといった法的な「密室の縛り」をかけることに
なる。まさに議運の秘密の扉に封印することを認めることに
なってしまう。そこまで隠したいのかと絶句した。
★しかし、それは絶対に認められない。
秘密会で行なうことには絶対反対である旨担当職員に言明した。
もし秘密かいでやろうとするなら、そうさせないために、
私は強く発言するつもりだと伝えた。
結果として、私の主張どおり、理事会の平場の報告事項として、
事務総長が報告し、その後に別の人事案件を秘密会である
こととなった。院と会派の名誉を守れたと思った。
【自由党合流問題 私の考え】
●6月4日(水)10:30 大畠、中野、海江田衆議院議員と懇談した。
●大畠氏からよびかけ。自由党との合流問題についての意見を聞き
たいとのこと。国会裏手の十全ビル6階 民主党政権を実現する会の
事務所で懇談。
●2日後にスタートする、自由党との合流を促進するための署名活動の
趣意書も見せてくれ、私の意見を求められた。
●大畠、海江田両氏とも96年の民主党を結成するにあたり草創の同志
として協力し合った仲間。鳩山前代表と私を含む4人は、劉備元徳、
諸葛孔明、張飛、関羽の4人に勝手になぞらえて、桃苑の会を時おり
催している。
●しかし署名活動の呼びかけについては、私は呼びかけ人になることを
断った。私は自由党との合流を最優先に考える考え方ではないし、
またその促進策として署名活動を行なうことにも問題があると考える。
したがって進んで呼びかけ人に加わるつもりはないと答えた。
●この問題については週末地元紙からも取材を受けたので、この
際自分の考え方を明らかにしておきたい。もちろん、以下の考え方は
このとき、大畠、中野両氏にもお伝えした。(海江田さんは少し遅れて
入ってきた。)
●自由党との合流問題についての私の姿勢
1 合流問題についてのヒアリングでは、私は条件付賛成論である。
その条件は以下の2点である。
@ 自民党と対立軸を組むための詳細ではないが大まかな理念の旗が
絶対必要である。そしてそれは「リベラルの旗」であってほしい。
A 政党名は「民主党」であるべきだ。
2 私の言う「リベラル」とは、
政治における市民中心・反国粋主義であり、
経済におけるセフティーネット尊重・アンチ市場原理主義である。
3 民主党という党名は、2大政党を標榜しつつ、上記2の大まかな
政策理念を含んだ観点から提案した党名である。
余談だが、96年民主党のとき、党名を決める議論があった。その際
これを最初に提案したのは私である。その際に考えたのは、
自民党の市場原理主義への純化と、それに対するアンチとしての民主党
であった。
4 この国の進路については、昔から「大国志向」主義と「小国抑制」主義が
あるように思う。最近では前者の代表は小沢一郎(「普通の国」日本)であり、
後者は武村正義。またかつての石橋湛山の小日本主義は田中秀征を通じて
さきがけの理念に流れ込んでいる。このような問題意識は現在も続いている
ようで、8日付の朝日新聞には慶応大学の添谷教授が書いた、
「大国ではないという選択」という論文が掲載され、「ミドルパワー」という
考え方が提起されている。
5 国家観としては、私は小日本主義者である。この国は背伸びをすると
危うい。資源の乏しい国が大国として列強に伍していくのには
おのずと限度がある。その限度をこえたときに必ずこの国の危機が訪れる。
私の基本にはそんな考え方がある。
6 私は、今でも、さきがけの武村さんが主張した
「小さくともキラリと光る国=日本」がこの国にはもっとも相応しい
と思っている。
7 今の自由党には、様々な議員がいるが小日本主義の私には受け入れがたい
大国主義者や国粋的発想の持ち主がいる。そんな考え方を整理せずに
まるごと合流となると、私にはまだ容認できる民主党の混雑振りが、
とても受け入れがたくなる。
8 署名運動の呼びかけ人になっている議員の中には、保守2党論者が
かなりいるが、民主党と自由党を合流させて、新たな保守党を作ろうとする
発想には反対である。それでは、二大政党になっても国民の政策的な
選択肢を狭めるだけである。また、民主党を第二自民党化すること
に間違いなくつながっていく。
9 96年の民主党の考え方から言って、98年の民主党の拡大は容認範囲の
域内である。そのとき民主党に合流したのは
(96民主党)+{(新進党)−(小沢グループ)}=98民主党
の構図であり、これは自分の基本的な考え方の了解内である。
しかし、今回の民主党自由党の合流論では、この構図が完全にもとに
戻ることになり、政党のイメージは混濁することになる。
10 96年民主党を立ち上げた時に、この政党は2010年に解党すると
宣言した。野党として長期間風雪に耐え、地力を蓄えて、しかる後に
政権をとると誓ったはずである。新自由クラブでも10年間は
命脈を保ちながら賢明な努力を続けた。まずは民主党を機軸としての
拡大を考えてがんばるべきであろう。
【裁判官訴追委員会制度の見直しを】
●4日(水)裁判官訴追委員会が開催された。委員として以下の発言をした。
「裁判の結果に疑問を感じる人が駆け込む窓口が狭すぎる。
司法改革にあたって卒委員会の制度自体を見直すべきではないか。
そのための検討をこの委員会で行なうべきである。」と
意見を述べた。
●裁判官の不祥事が続くなか、国民の今まで閉ざされていた裁判官や裁判所の
官僚的な体質が意識されつつある。
●裁判の結果に疑問を持つ国民のとる道は、「控訴」か「訴追申し立て」の
2者択一。
また訴追委員会は「罷免事由の有無」を審査する建前なのでハードルが高すぎるし、
裁判所の対応のまずさも、裁判官を罷免するまでにはあたらないとして、大半が
不訴追。そんなこともあってか、訴追申し立てのきちんとした窓口もまだ存在しない。
こんなことでいいのだろうかと問題提起。
●谷川訴追委員長がこれを引き取って、今後新に議論する場所を作りたいとした。
●司法改革の大きな柱にもなるはずなのに、裁判官訴追制度についての見直しの
論議は今もって起きてはいない。
【傍聴人への過剰警備はやりすぎだ】
●6月6日(金)10:00 本会議
●総理帰国報告と質疑、有事関連法案の討論・採決、心神喪失、インターネット児童誘
引、地方自治、公益法人、職業安定・労働者派遣法案の各採決を行う。
●心神喪失法案の採決の際に、傍聴席から大声の野次。
傍聴人からの怒号に議長は退去を命じたがその後の衛視の警備体制は異常。
●怒号を発し退場された傍聴者は、心神喪失関連法案の関係者。法案採決後、
その人たちは大半議場を立ち去ったと言う。
●私が問題視した時間の審議は有事法制についての討論の最中。
傍聴者は入れ替わっている。
●過剰警備と指摘したのは、まず衛視の数である。傍聴者よりも数は多い印象。
さらに衛視の警備振りである。傍聴人は座っているのに、衛視は傍聴席の各所に
立ちはだかり、前に立ちはだかって視野をさえぎり、傍聴席をにらみつけ、
取り囲むようにして威圧する。傍聴人はまるで犯罪者予備軍のような扱いである。
●私はかねがね国会活性化の主役は傍聴人であると思ってきたし、わが国の国会の
傍聴環境の劣悪さを改善するよう主張してきた。その私の考え方を全く逆にしたような
衛視の警備対応に怒りすら覚えた。
●みかねて、久しぶりに登壇。各党の議運理事に集まってもらい過剰警備を
改めるよう強く抗議。後に議運で議論することになった。
【先週の主な活動】
■6月2日(月)
08:00 第580回マンデーレポート
11:30 参議院セクハラ問題について 参議院事務総長・人事課長
に面会。
12:30 上記問題について国対委員長と協議。
17:00 県連幹事会
18:30 県連統一地方選反省会
■6月3日(火)
10:00 経済産業委員会
12:00 常任役員会
12:30 議運理事会(上記参照)
17:00 日本弁護士連合会・種田副会長、内田副会長、藤井副会長 来訪
19:00 簗瀬進サポーターの集い
■6月4日(水)
10:00 党本部代表室に6月29日に開催の県連大会へのご案内。
10:30 大畠、中野、海江田衆議院議員と懇談。(上記)
11:30 議運理事会
11:40 議運委員会
12:00 本会議
12:20 国対・理事合同会議
12:55 請願課より請願受付締切りの件レク
13:00 夕刊フジ新井記者 取材
フジテレビ、日刊スポーツ、サンケイスポーツ、日刊ゲンダイ 取材
16:00 裁判官訴追委員会(上記)
18:30 国会コーラス愛好会練習会
■6月5日(木)
10:00 経済産業委員会
12:30 議運理事会
15:00 故・小笠原まさお様 弔問
★幼稚園の時から高校まで一緒だった彼が耳下腺ガンで逝った。
葬祭場の霊安室には誰もいず無言の彼と面会した。
耳下腺ガンの手術は残酷だ。必ず相貌を変えてしまう。
しかし、無言の彼の顔はハンサムで快活だった昔の彼に戻っていた。
地銀の外国為替のディーラーとして毎日緊張の連続、
そんな環境が彼の肉体を間違いなく蝕んだのではないか。
ストレスが確実にわれわれを追い詰めている。
■6月6日(金)
09:00 議運委員部と打合せ、国対委員長と打合せ
09:30 議運理事会
09:40 議運委員会
10:00 本会議(上記参照)
13:30 下野新聞・河又記者
14:30 藁科満治議員 訪問
18:00 電機連合・結成50周年記念レセプション
故湯沢恒二様 通夜
■6月7日(土)
11:00 故湯沢恒二様 告別式
★小笠原、湯沢、高校の同期生を会いついで失った。
奇しくも二人とも耳下腺ガン。本当に悲しい。
★小笠原君は本会議と重なったため弔詞は述べられず、
深夜にメールを打たせてもらった。湯沢君に対しては
友人を代表して弔辞を述べることができた。
★湯沢君は、死の淵で、私から預かった市長候補者の
看板の所在を必死で伝えようとした。自分のことより
他人の事を先にするそんな男なのだ。
★弔辞を述べながら、ありったけのエネルギーを
注ぎ込んだ。弔辞を終えて自席に戻ろうとした瞬間、
体が少しふらついた。彼の死は大きな衝撃を皆に残した。
★ありがとう。本当にありがとう。
■6月8日(日)
18:30 藤井弘一後援会躍進の集い