国会通信 No.662

  【民主党 中東・スーダン視察】

2005/5/9 (マンデーレポート662の要旨)


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【1】民主党 中東・スーダン視察 【2】イスラエル・パレスチナ問題の難しさ 【3】スーダンの南北問題 【4】砂漠に咲いた 「ごみの花」 【5】USA コーン・ソイ・ブレンド  ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【1】 民主党 中東・スーダン視察団 ●4月29日に成田をたってイスラエル・パレスチナ・ヨルダン・スーダンの  各国を訪問し、各国の要人と意見交換をしてきました。 ●参加者は、民主党代表の岡田、ネクスト外務大臣の前原、  団体局長の樽床、国際局局長代理の井上の4衆議院議員、  そして参議院側から私の5名の国会議員。随行記者4名と  本部職員2名を含めると総勢11名の視察団であった。 ●岡田代表と前原さんは、ゴラン高原の選挙監視団などで、  中東訪問の経験があり、井上さんはユネスコの職員として、  現地の知識も豊富だが、樽床さんと私は中東もスーダンも  初訪問。パレスチナ難民やスーダンの難民キャンプを直接訪問する  など大変勉強になった。 【2】 イスラエル・パレスチナ問題の難しさ ●今回初めて両国を訪ねたが、問題の根深さを実感すると同時に、  だからこそ問題解決が人類史的な意義を持つことを痛感した。  世界の紛争のあらゆる要素がここにはある。  宗教・人種・経済格差・先進国のエゴ・テロなどなど。 ●パレスチナ側はブッシュ大統領の提案したロードマップにしたがって、  ヨルダン川西岸地域とガザ地区からのイスラエルの早期完全撤退を  主張する。占領地域を分断する道路、検問、隔離壁、そして占領状態を  積極的に既成事実化する入植地の増加等々、イスラエル側の行動を  非難する。 ●イスラエル側は、ここぞとばかりパレスチナ側のテロを非難する。  アッバス長官の指導力が低くテロを抑え切れていないことの懸念を  再三表明する。また、日本のパレスチナに対する支援が、不明朗な  使われ方をされ、幹部の私腹を肥やしていることへの注意を喚起  しようとする。 ●さらには、分離壁の建設後、現実にテロの発生が急減したこと  から、分離政策の有効性を強調する。軍隊の撤退を約束した西岸地域  5箇所のうち現時点では3箇所しか撤退を実現していないが、これも  不十分なテロ対策上やむをえないと強弁する。 ●圧倒的な軍事力の前で押しまくられるパレスチナ。テロに訴えるしか  抵抗の手段がないのはわかるが、自爆テロに象徴されるように、テロという  言語道断の行動に出たほうが負けなのだ。9・11後、テロ対策は国際政治の  最重要課題となった。この流れにイスラエルは上手に乗っている。   ●壁、道路の検問、、これらのテロ対策に有効とされる手段は同時に、  ガザにしても西岸地域にしてもパレスチナの生活圏と経済活動を完全に  破壊しつつある。完全返還になった後でも経済的な自立はかなり困難になる。 ●エルサレムは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地が集まっている。  それは世界有数の観光資源であることを意味している。しかしテロの横行の結果  観光収入はまちがいなく激減した。またイスラエルのもつ科学力を活用した  産業に必要な労働力の多くはパレスティナから供給できるはずである。  共存共栄が双方とも利益であるのは分かっている。しかし、それを現実のものと  しないのは複雑な歴史と、そして信仰である。 ●イスラエル側にとっては「約束された土地」なのだが、パレスチナにとっては  それは単なる神話である。「約束」を実現に向けて支援したのは、19世紀における  ロスチャイルド家であり、20世紀初頭の英国である。第1次、第2次の両大戦の  複雑な駆け引きの中でパレスチナもアラブも翻弄され現在に至っている。 ●この地域の平和と安定をもたらすこと。それは、戦争の世紀であった20世紀を  終わらせ、21世紀の新しい人類社会の平和を確保するために、必然的に  取り組まなければならない課題である。しかし、それは一朝一夕にできることではない  。粘り強く国際社会が監視の目を注ぎ続け、膨大な時間を積み重ねながら、  小さな前進を延々と積み重ねていくことしかないのだろう。そんなことを実感した。 【3】スーダンの南北問題 ●アフリカを訪問するのは今回が初めてである。そしてスーダンのハルツームと  ダルフールの二箇所の難民キャンプは強烈な記憶を私に刻みつけた。 ●スーダンは、政府を構成する北部のアラブ系と南部を中心とするアフリカ系の  対立が基本的な問題点。また西部のダルフールの住民迫害が国際的な問題に  なっている。国内混乱の結果、大量の難民が発生。南北問題のほうは6年後の  住民投票が決まっているが、石油資源を持っている南部は強気で、統一への  こだわりは少なそう。 ●さらに、ダルフール地方に監視で入っているアフリカ連合の監視団の幹部  (ナイジェリアの将校)からは、政府が住民迫害をしている証拠がある等の  衝撃的な発言があり、スーダン政府とアフリカ連合の間で今後相当な緊張  関係が生じるのではないかと懸念を持った。 【4】 「ごみの花」と「日干しレンガ」 ●ハルツームの難民キャンプ。  砂漠の中を延々と1時間近く走ってようやくキャンプにたどり着いた。  途中にはごみの花が咲いていた。雨季に入る手前の乾燥状態。  腰くらいの潅木には風に吹かれた色とりどりのビニール袋がへばりついている。  意外にきれい。砂漠に咲いた「ごみの花」である。 ●砂埃がひどい。風も強い。しかし、風がなければ暑さは急上昇する。  43℃が50℃近くなるそうだ。ハルツーム市内には大河ナイルが悠々と流れる。  この辺は白濁していないので青ナイルと呼ばれている。大河のせいか、  地表を15メートル前後掘れば水が出てくる。この水を中心にキャンプは  成立する。国連の浄水支援事業が行われ、ポンプの周囲1キロメートルごとに  キャンプが置かれる。そして日干し煉瓦の粗末な住まいが延々と続く光景となる。   ●この地域の赤茶けた土、セメント質を多く含んでいるのか、水を加えて練り、  乾燥させればレンガが出来上がる。水さえあれば建築資材はどこにもある。  ポンプ付近では、ヒョウタン状の穴の開いた板を日干し煉瓦で作っていた。  穴を掘り、この板をかぶせればそれがトイレになる。これから雨期。衛生管理の  ためにトイレの設置は緊急課題。しかし全体で40万人に及ぶ難民にいきわた  らせるためには少なすぎる。 【5】 USA コーン・ソイ・ブレンド  ●ダルフールのカルマ難民キャンプ  15万人の難民キャンプ。食糧配給センターと子供たちの医療センターを  中心に視察。USAの食糧袋が積まれている。とうもろこしと大豆の総合食糧。  これを水で溶いて調理するようだ。燃料は、サバンナから取ってくる木や草。  難民キャンプは必然的に自然環境にも大きな負荷を与える。1時間ほど列を  作り配給カードを照合し指紋を押捺させてから袋を渡す。その間3時間。  日よけのない炎天下でじっと待っている人々。しかし、意外と表情は明るい。  キャンプの外では略奪が続いている。キャンプの中のほうが安心できるのか。   ●医療センター。キャンプに来るまでの迫害状況の中で栄養失調になった  子供たち。深刻な病気を抱えた子供たちを見舞った。テントの中、ござの上で  やせこけた子供を抱き絶望的な表情の母親の顔を何人も見る。父親の姿は  皆無。粗末な薬剤、少ないスタッフ。医療環境はきわめて悪い。早急な  人道支援の必要性を強く感じた。   【6】主な日程と会見した要人のリスト   往路は、バンコク経由でヨルダンのアンマンに入り、復路は   スーダンのハルツームからカイロ、ロンドン経由で成田に戻るなど   機中泊3回という強行軍であった。 ■4月29日(金) 16:55 成田発(NH-5951) 21:25 バンコク着 23:15 バンコク発(RJ-183)       (機内泊) ■4月30日(土) 04:35 アンマン着 08:00 アンマン発、陸路パレスチナへ 「ヨルダン河を渡り、イスラエルの占領する ヨルダン河西岸地区のパレスチナに入る。」 「故アラファト議長が軟禁状態に置かれていた PLOの本部を訪問。」 10:30 エラカートPLO交渉局長との会談 12:00 アッバースPLO長官との会談 13:00 キドワ外務庁長官との会談 15:00 イスラエル分離政策の象徴「壁」を視察。 「占領地内に縦横に張り巡らされた地上8メートル、 厚さ40センチのコンクリート壁が占領地域を 無残に分断している。」 「パレスチナから陸路エルサレムへ移動」 (エルサレム泊) ■5月1日(日) エルサレム発、陸路アンマンへ。 この日は、ヨルダン国の要人と会談し、意見交換を行った。 10:00 ムアッシャル王宮大臣と会談 11:00 アワダッラー財務大臣と会談 12:30 バドラーン首相と会談 16:00 ハッサン元皇太子と会談 17:00 UNRWA難民キャンプ視察 パレスチナの地を、イスラエルに追われた多くの人々が 難民キャンプに住んでいる。そのうちアンマン市内の バカーキャンプを訪問し、民家や学校を訪問。 22:00 アンマン発、空路イスラエルのテルアビブに。 着後陸路でエルサレムに移動。      (エルサレム泊) ■5月2日(月) この日は、イスラエルの要人と会談し、意見交換を行った。 7:00 エルサレムのオールドシティーを見学。 10:00 カツァブ イスラエル大統領と会談。 12:30 トミー・ラピド・シヌイ党党首(野党第1)と懇談。 14:00 オルマート副首相と会談。 16:30 エルサレム発、陸路アンマンへ 20:45 アンマン発(MS-702) 22:00 カイロ着            (機中泊) ■5月3日(火) 02:30 カイロ発(MS-853) 05:00 スーダンの首都ハルツーム着 スーダンは面積ではアフリカ第1位、人口では第8位の大国。 しかしアラブ系とアフリカ系の対立による南北問題と 西部ダルフールの農民対遊牧民の対立による混乱など 国全体が揺れている。 07:00 スーダン南部のジュバに行く予定で、国連機に搭乗。 しかし電気系統のトラブルで国連機飛べず。ジュバ訪問を断念。 急遽、ハルツーム近郊の難民キャンプを視察することに。 9:00 イブン・シーナ病院視察 日本のODAによる医療器械が20年近く大切に使われている。 ピカピカに光った内視鏡を見て感激。 11:00 ハルツーム近郊の難民キャンプ視察。 気温は43℃。風がなければ50℃近くなるという。 18:00 アルガザール ジュバ市知事と会談。     20:00 ムスタファー スーダン国民議会 外交委員長ほか 外交委員会のメンバーと会談。                     (ハルツーム泊)   ■5月4日(火) 07:00 国連機にてハルツーム発 10:00 スーダン西部ダルフール地方ののニヤラ空港に到着。    空港で地方政府保健大臣と会談。 11:00 カルマ避難民キャンプ視察。 医療供給センター・食糧配給現場など。 衰弱し、明らかに瀕死の状況の子供を見守る 母親の表情。口に手を当てて物乞いをする子供もいる。 しかしキャンプの外は略奪、強姦等の危険が。 状況は相当悪い。 12:00 国連・NGO関係者と意見交換。 午前中の保健大臣の話とは違い、難民の数は毎月3万人程度ずつ 増えているとのこと。 12:30 AMDAの皆さんが支援に入っている医療施設を見学。 13:00 アフリカ連合(AU)駐屯地 幹部と意見交換 ナイジェリア出身の幹部の説明では、政府が住民迫害に手を貸している 証拠があるとの衝撃的な発言。AUとスーダン政府の溝は相当深いようだ。 14:30(国連機でハルトゥームに帰還) 20:00 ナジブ・アルハイル外務担当国務大臣との会談 かなり強い反米意識。岡田代表は、戦前の日本の歴史を引き合いにして、 孤立政策の危険性を説得。                            (機中泊)   ■5月5日(木) 03:00 ハルツーム発(ET-440) 08:25 カイロ発(BA-154) 13:50 ロンドン発(BA-005) ■5月6日(金) 09:10 成田着