国会通信 No.715
【靖国問題の核心】
2006/8/21 (マンデーレポート715の要旨)
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【1】 靖国問題の核心はなに?
【2】 戦後史の重要性。
【3】 ベルリンの追悼施設について。
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【1】 靖国問題の核心はなに?
●20日(日)10:00。栃木県原爆被害者協議会の主催で
「被爆61周年栃木県原爆死没者慰霊祭」が行われた。場所は、
県総合運動公園内の慰霊碑前。せみ時雨の中で1分間の黙祷。
松林を通して風が吹いてくる。聞こえるのは蝉の声のみ。
さまざまな思いが去来する。貴重で厳かな沈黙の瞬間である。
●会長の諏訪さんの挨拶には原爆認定に対する厚生省の対応への
怒りと同時に、核廃絶への道が遠のきつつある国際社会への懸念が
こめられていた。来賓として連合会長の伍井さん、そして私が
民主党県連を代表して挨拶した。
挨拶の中で私は、今もって戦争の総括がきちんと出来ていない
ことこそわが国の最大の問題点であると訴えた。靖国の問題の
核心は、実はそこにあるのでる。
先の大戦が、どのようにして決定され、誤った戦略・戦術が
どのようにして決定され、内に対しても外に対しても、ともに
非人道的な作戦が実行されてしまったのか、その総括が今もって
出来ていないので。
●その混乱の象徴こそ靖国問題である。私はそのように考えている。
自らの失敗の原因を十分に知っていれば、次の失敗もおのずから
避けられる。しかし、失敗の原因を知らなければ、再び失敗する。
未来のために、過去の失敗の分析は怠ってはならない。
失敗のさまざまな出来事から今に続く豊富な教訓を汲み取ることが
出来るはずである。それはまず自分のためなのだ。
●さらに、失敗の原因を明らかにしようと懸命に努力している隣国には、
かつて侵略された国の人たちにも、いつしかかならず理解と信頼が蘇っ
てくる。しかし、逆に、失敗の過去を簡単に忘れようとする隣人への
本能的な不信感は決して拭い去れないだろう。
●靖国への対応の核心はここにある。小泉首相が退任間際に、ようやく
「8月15日の参拝」という公約を実行したそうだ。退任間際のかけこみ
参拝はあまりにも卑怯ではないか。またどうせ退任するのだからと中国や
韓国の反発が低かろうと読んでいたとしたら、あまりにも姑息である。
「心」の問題というのなら純粋に心の内のみで参拝すればよい。
●靖国問題の核心にある根底的な問題には全く触れもせず、「行く」か
「行かない」かの一点だけで大騒ぎを演出する。この問題の深部にある
日本のそして日本人の本質的な弱点については完全に目がそれる。
総理の行ったことの最大の罪はそこにある。
●こんな小泉総理に巻き込まれ、付き合わされるテレビやマスコミも、
そんなことは承知の上。ヘリコプターを出し、総理の一挙手一投足を克明に
実況中継する。もっと腰をすえ、本質的な問題点をえぐろうとする努力も
多少は見られる。しかし、最後は「靖国ショー」のショーアップに片棒かつがされる。
総理が靴紐を結ぶ姿まで、テレビは克明に実況放送していた。
靴紐を結ぶ総理の姿になんの意味があるのだろうか。
●靖国問題での混乱がいまもって続いているわが国の現状。それは
戦争の総括がいまもってきちんと行われず、また戦争の原因と対応に
ついての国民の共通認識がいまもって出来ていないことの裏返しである。
●戦争直後の日本側にとっては、国体護持=天皇制維持こそ最大の関心事。
また占領行政の円滑な進行からマッカーサーはかなり早い段階から
天皇の戦争責任を不問に付すと決断していた。歴史の正確な総括が出来ない
原因の多くは、この暗黙の了解事項にあると思われる。
●しかし昭和天皇は崩御なさり、すでに歴史上の存在となりつつある。
だからこそ、今度こそ冷静で緻密そしてタブーのない歴史の検証をすべきで
ある。それによって、はじめて日本人の精神的な自立が可能になるのではないだろうか。
【2】 戦後史の重要性。
●前々回の国会通信で半藤一利さんの昭和史戦後編を読んだ話をした。
改めて「昭和20年代と30年代の歴史は要チエック」であると感じた。
半藤さんの著書をもとにして私なりの昭和20年代を中心にした
「歴史発見」をしてみた。自分の不勉強をさらけ出すようで恥ずかしいが、
新たに知ったことを整理して挙げてみる。
1 軍官僚たちの新天地は厚生省。
戦争終結後、日本軍は直ちに武装解除された。
その結果、両省は雲散霧消したわけではない。厚生省の援護復員局の
所管となり、さらに少尉以上の職業軍人は公職追放となったが、例外的に優秀な
参謀たちは残された。外地に多数残る軍人の復員事業は大事業であったが、このため優
秀な軍官僚たちは多く厚生省に所属することとなった。
2 再軍備の協力者たちは、厚生省の復員局に所属していた。
マッカーサー司令部には、完全な民主化・非軍事化を推進しようとする
民政局と、日本の再軍備を視野に置いて画策する参謀2部(G2)の激しい
確執があった。そして再軍備を図るG2の協力機関として活動したのが
服部機関。そして服部機関の所属は、厚生省の第1復員局(旧陸軍省出身)
と第2復員局(旧海軍省出身)であった。
3 再軍備の協力者たちは、東条内閣の総理秘書官だった
G2の進める日本再軍備計画、それはやがて朝鮮戦争の勃発とともに
急進展する。それが警察予備隊である。そしてG2をバックアップした
服部機関の中心人物は東条内閣の総理秘書官3名であった。
(服部卓四郎氏、西浦進氏、井本熊雄氏の3名)などが中心。戦争中の作戦部長だった
服部大佐の名前をとって服部機関といわれた。
再軍備の研究を精力的に進めていたといわれるが、やがて民政局側からの反発を受けて
解散。彼らは、警察予備隊から排除されたが復員局には在籍を続けた。
4 東京裁判の対象外とされた軍官僚の存在
戦争犯罪人の定義はポツダム宣言に書かれていた。
そしてマッカーサーの命令で検事団が選ばれ、GHQの管理下で裁判が
行われた。
A級は「侵略戦争を計画し、あるいは指導した者、戦争を防止しなかった者」
BC級は「俘虜または住民を虐殺または虐待した責任者または直接の下手人」
A級は28人。 絞首刑7名。
(陸軍15人・海軍3人・いづれも参謀本部関係者なし。外交官5人。文官2名。)
BC級 対象人員 5702人。 死刑執行 948人。
すなわち、東京裁判の被告席には、戦争の計画を具体的に立案し、人命を
無視した無謀な作戦を計画・実行した参謀たちの存在は皆無である。
たとえば特攻攻撃は当初「自発的参加」という建前で出発した。
しかし、それはやがて無言の組織的な取り組みになっていった。
これについての責任は今もってなんの追及も受けてはいない。
5 裁判の原告となるべきなのは日本人?
私はかねてから
「戦争遂行の責任を追及すべきなのは日本人自身であるべきだ。
戦後、日本の人民の側から戦争責任追及の声が上がらなかったのは
きわめて残念である。」などと思ってきた。しかし、若干の動きが
あったことを半藤さんの本で知った。
東京裁判が開廷される前に、幣原内閣の岩田宙造司法大臣が中心になって
「戦犯自主裁判案」だった。
正式な名称は「民心を安定し国家秩序維持に必要なる国民動議を自主的に
確立することを目的とする緊急勅令」だった。全12条のかなり具体的に
作られた案だったそうだ。しかし結論から言えば天皇陛下の「昨日までの
臣下を今日裁くことは出来ない」との判断で日の目を見ることはなかった。
このことを半藤さんは良しとしているようである。もしこれが実現していたとすると
、人間の憎悪が入り乱れて国家の秩序がいっそう乱れることになりかねないと、彼は指
摘する。確かにそんな一面もあるかもしれない。
しかし、何らかの動きが仮にあったなら、その後の戦争責任の追及のあり方もかなり変
わったのではなかろうか。そして、その結果として、アメリカが行った無差別殺人的な
原爆や空襲に対しても、国民の立場での、正当な責任追及への発展も可能であったので
はなかろうか。