国会通信 No.717

【解釈改憲論者に 憲法改正を語る資格なし】

2006/9/5 (マンデーレポート717の要旨)


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【1】 解釈改憲論者に 憲法改正を語る資格なし。 【2】 政治は、シンボル操作か。 【3】 安倍氏の祖父は単純なタカ派ではなかった。  ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 【1】解釈改憲容認論者には、憲法改正を語る資格なし。 ● もはや消化試合?   9月1日、安倍官房長官がようやく出馬表明し、その政権構想を  明らかにした。国会閉会後、報道ネタ不足気味のマスコミは、すでに  再三アンケート調査を行っており、多くのマスコミは安倍氏の独走を  予測、もはや消化試合気味の感すら漂っている。 ● すでに「逃げ」の政権構想    そんな安倍氏の政権構想は、他の2氏と比べるとかなり簡略。  報道によると、政権構想は4ページ。他の2氏が10ページを越す  もののようだからかなり軽量である。大方のマスコミの報道どおり  勝ちを意識し、将来の揚げ足取りを恐れた上で、必要最小限、数値  目標、そして「美しい日本」に代表される抽象的な文言の羅列された  ものである。政権構想それ自体が最初から「逃げ」を打っている  ようなものだ。 ● 安倍氏の政権構想の気がかりな点    そんな政権構想を見て、私なりに気になる点を指摘すると、  1 解釈改憲を容認する者に、憲法改正を語る資格があるのだろうか。  2 抽象的な言葉は、約束の意味を持たないのではないか。   ということである。 ● 解釈改憲の危険性   安倍氏は、「憲法9条を改正しなくても、政府の憲法解釈を変更することによって、  集団的自衛権を行使することが出来るようになる」と簡単に言い切る。  もちろん、どんな言葉でも解釈の余地はある。しかし、言葉が生きている以上、日本語  の論理から認められない壁は必ずある。それをギリギリまでつめてきたのが今までの  9条解釈論である。それを簡単に捨て去ってよいはずがない。 ●政府解釈   今までの政府解釈は、簡単に言えば、「集団的自衛権は権利としては存在するが、  その行使は憲法が禁止している。」である。すなわち、憲法上、集団的自衛権は行使で  きないものと明瞭に断言しているのが政府解釈である。さまざまな国会での厳しい議論  を積み重ねての結論を簡単に変えてよいはずがない。 ●憲法の潜脱ないし破壊   もしこれが解釈で出来るとするなら、まさにそれは実質的な憲法9条の改正にほかなら  ない。そしてそれを改正の手続きなしで行うことに他ならない。憲法改正の潜脱。解釈  による憲法破壊である。もし解釈によって確定した政府解釈を変更できると考えれば、  もはや憲法はあってもなくても同じである。憲法の規範性を無視した解釈論は憲法の存  在を否定するのと同じである。 ● 憲法改正の究極の目的   私にとって、もちろん民主党にとっても、憲法改正の究極の目的は、安易に解釈変更を  繰り返し、そして憲法規範を安易に変容させてきた戦後の歴史に終止符を打つためである。   憲法の最高規範としての意味を、生き生きと蘇らせるためにこそ憲法改正はある。  解釈改憲でなんでもことがすむと考える安易な姿勢とは正反対である。憲法の解釈を  安易に考える政治家に憲法改正を語る資格はないのである。 【2】 政治はシンボル操作か。  ● 抽象語は要注意。   政治の側が、意味内容が不明確の抽象的な言葉をちりばめるときは、注意しなければな  らない。もっとも、政治の側も巧妙かつ狡猾であるから、無内容であることが簡単には  分からないような工夫をする。政治家はある面で言語操作のプロであるから、その辺は  巧妙である。美辞麗句をちりばめ、自尊心をくすぐり、敵愾心をあおりながら、実際は  無内容なスローガンを意味ありげに訴えかける。言葉が実際に何を意味しているのか  そのつど検証しながら政治家の言葉を聴くべきである。政治家の語る抽象語は注意  しなければならない。 ●「美しく」「ふさわしい」ものはなにか。   安倍氏の政権構想は、失礼ながら、肝心なところになればなるほど抽象語の  オンパレードとなってくる。「美しい国」といったときに、さて「美しい」とは  何なのだろうか。もとより美醜の基準は個人的であり相対的である。すなわち  その言葉としての政治的な実質は、何もない。   憲法改正をいいながら、その憲法改正の目標を「21世紀の日本にふさわしい」  憲法を制定すると主張する。「21世紀」も時間的な区分としてのみ意味があり、  その政治・経済・文化上の意義付けは人さまざま。「ふさわしい」と言っても、  比較対照すべき対象が不明である以上何のことか分からない。   これで政権構想というのにはあまりにも無内容である。 ● 政治はシンボル操作か。   政治は、政治の側の発信する言葉に始まる。言葉が人間社会のシンボルである以上  政治の本質はシンボル操作であることを否定はしない。しかし、シンボルの曖昧さに  どう対処するかは政治家個人にまかされる。曖昧を意図的に悪用するか、逆に曖昧さの  危険ときちんと向き合うかによって、政治の姿は大いに変わってくる。 ●シンボル操作の達人   私は、小泉総理はこのシンボル操作の達人であったと思っている、しかも悪用するほう  の、、、。小泉総理の後継ナンバーワンの安倍さんが、達人の粋に達するかどうかは、  今後の見ものである。ただ今からおおよその見当がつくのは、曖昧さときちんと向き合  う誠実さとは、どうやら無縁のようである。要注意。 【3】 安倍氏の祖父は単純なタカ派ではなかった。  ● 「東条英機 暗殺の夏」を読了した。   昭和19年7月、絶対的防衛権(本土空襲が必至となる限界線)のサイパン島が陥落し、  冷静に見れば敗戦必至の状況になり続けながら、現状認識を欠落し、日本民族の優秀性  にのみ依拠した根拠のない必勝論を語り続けたのが東條首相だった。 ● 東条の内閣改造を阻止したのは岸信介   詳述は略すが、この東條内閣が改造をして延命し、恐怖政治を継続させた上で、  本土決戦に持ち込もうとしていたのを阻止したのは、決死の思いで辞職要請を拒絶し、  結果として閣内不一致に持ち込んだ岸信介国務大臣だった。国民のさらなる犠牲を  阻止するための決死の反権力。岸氏を「タカ派」と形容するのがマスコミの常套句だが  昭和19年においては、戦争終結に向けての必至の努力をした政治家であったことは  間違いないようである。彼は単純なタカ派ではなかった。