第1 連立政権の総括

2 自民党プロブレム(=「自民党」問題)


2 自民党プロブレム (=「自民党」問題)   ただ、いまでも残念に思うのは、八ヶ月で終わってしまった   細川政権が2年間ほど続いていたら現在の政治状況は   もっと良くなっていたのではと言うことである。     おそらく「権力」という強力な接着剤を失った自民党は、   もっとすっきりした形に分裂していたのではないだろうか。   自民党は政権の座にいることで初めて政党として存在が可能となる   変な政党である。   政権につくことを最優先課題にしているから、   理念・哲学・政治手法などは「二の次三の次」、何でもありの政党である。   かつて私は、なにが入っているか分からない「やみ鍋」のような   政党とたとえたことがあった。   自民党に理念がないと言うのは正確には正しくないかもしれない。   バラバラな理念を集約することよりも、   政権の座にいることのほうが数段重要であると考えていると   いったほうが正確である。   理念が雑居している政党と言ったほうがよい。     このような政党が政権の座にありつづけることに   日本の政治の最大の問題がある。   ある政治学者はこの問題をあえて「自民党問題」と名付けた。   自民党という存在自体が日本政治の原罪なのではないかと思う。   この政党にとって、理念にしろ政策にしろ、自らが政権の座に居続けることの   単なる方便でしかない。   政権のアクセサリーにすぎないのである。     ある政策が失敗したら簡単に別の政策に取り替えればよいと思っている。   たとえば橋本総理であろうが、行革に失敗し、   規制緩和政策で失敗したら、別の政策をひっさげた別の自民党代議士に   簡単に首をすげ替えればよいと思っている。   たとえば、靖国神社の公式参拝を求める会の会長が、   閣僚になったら立場上問題だからと言って会長職を簡単に辞めてしまう。   靖国に参拝することを信念と考えるのなら、   参拝ができなくなる閣僚など受けるべきではないのだ。   それとも閣僚をやめた瞬間また会長に復帰すればよいと   気軽に考えているのだろうか。   神社に参拝する行為を単なるファッションとでも思っているのだろうか。   私にはできそうもない行動である。     理想とか理念とか信条とか信念とか、   それらのものが重要だと考えられているのはなぜだろうか。   それは、それを唱える人の精神に対して、   つねに鋭い問いかけを発し続けるからこそ重要なのである。   そこに責任の観念が生まれ、自立の精神が現れ、人からの信頼の核が生まれる。   権力は、理念や信条に奉仕するからこそ初めて   その存在が認められるのである。   しかし、権力の座にあると言うことが自己目的化してしまった時には、   結局権力を規制するなんの基準も存在しなくなってしまう。   また理念や信念が明らかにされているということは、   国民に対する責任のよりどころが明らかになっているということである。   もちろん権力がいつも正しいわけではない。   権力が誤ったときに、権力の責任を追及し、   時には権力の後退をせまる重要な手がかりがこの部分である。     政治はある意味で、理想や理念と現実をいかに調和させていくのか   という苦しい営みである。   この胃の痛むようなぎりぎりの作業をこなしつづけていくのが政治である。   理想と現実の相克、   この緊張感を失ったときに政治は限りなく堕落する。   そして最後には自らも国民も共々に大きな災厄に導いていってしましまう。   権力の追求こそすべて、   そのためにはあい矛盾する理念でも政策でもがぶりと   飲み込んで平然としていられる自民党の姿は   日本の民主主義の発展を妨げつづけている存在と言わざるを得ないのである。     この「自民党プロブレム」を解決する問いのも私の大きなテーマの一つである。   理念、政策の雑居状態をいかにすっきりさせていくか、   そうでなければ政界再編の離合集散は   単なる権力闘争でしかなくなってしまう。   私にとっての政界再編の根本のテーマは、   自民党の理念的な雑居状況の解消であり、   それは政界に入って以来一貫した変わらないテーマである。