第2 鳩山新党そして民主党の誕生

3 鳩・船・簗の三者会談


3 鳩・船・簗の三者会談   鳩山さんが、新党をめざして活発な展開をしている中に、   船田元氏も含まれていた。   「鳩・船新党」の活字が新聞に散見するようになってきたが、   このことは私にとっても重大な関心事項であった。   なぜなら、私も船田氏も、新選挙制度で行われる   初めての小選挙区の戦場を、   栃木第1区に決めていたからである。     その船田氏から突然面談の申し入れがあった。   96年3月15日(金)のことであった。   この日は、午後6時から地元宇都宮市内のホテルで、   暮れに行われる知事選に向けての各党各派代表者会議が   行われることになっていた。   私はさきがけ栃木の代表として、   彼は新進党県連の幹事長として、   会議に参加した。   会議は一時間程度で終わったが、   県連の他の日程で帰ろうとする彼がそっと私に歩み寄ってきた。   彼に促されるように部屋の隅に行くと、   彼は「鳩山さんと、簗瀬さんと私の三人で、      ゆっくり食事をしながら話をする機会が作れませんか。」   と言ってきた。   私は、内心で「いよいよ来たか。」と思った。   少々予期するところもあった。   一瞬考えたのち「結構ですよ。」と答えた。     1週間ほどして鳩山さんから会合の日取りが4月1日に   決まったことの連絡があった。     会うまでの間に様々の事を考えた。   しかし、「さきがけ」の鳩山、「新進党」の船田という、   二人の若い政治家が核になって、従来の保革の枠組を打ち破る新党ができるなら、   という思いが全てに優先した。   そして自分の政治家としての二つの命題、   新市民革命と情報革命に   強い共感を感じてくれている鳩山という政治家と行動をともにする   決意を固めた。   さらに「鶏口となるも牛後となるなかれ」のたとえ通り、   おずおずと従うよりも颯爽と先陣を切るべきだと決断した。     会見当日は目立たぬように3人が集まった。   時間は午後8時過ぎ、場所は記者が余りでまわらないような   東銀座の料理屋の2階座敷だった。   会見は極秘にする必要があった。   なぜなら、鳩山・船田の会見に私が加わることが   重要な意味を持っていたからである。   それは、船田と選挙区を同じくする簗瀬が入ることで、   今まで空想の世界であった鳩・船新党が一挙に生々しく   現実味を帯びてくるからである。   そして外に漏れれば、まだまだ準備段階の新党論は   つぶされるに決まっているからである。     話の口火は私から切らせてもらった。   いわゆる鳩船新党には自分として協力する決断をしたこと、   選挙区調整の話は現時点では絶対にすべきではないことなどを   まず述べたが、   すでに鳩山・船田両氏の間では何度も話がなされているようで、   新党は既成の事実のように感じられた。   それぞれの党内事情などを話し合い、   和やかな雰囲気の中で話は3時間以上続き、   私が料理屋を出た時は、もう11時を回っていた。     しかし、極秘のはずの会談は、   翌々日の3日の朝刊の一面を飾る事となり、   秘密はたった一日しか保てなかった。   前途多難を思わせた。   そこでいったんは沈静化しようという事になった。