第2 鳩山新党そして民主党の誕生

4 新党への足取り


4 新党への足取り (1) 軽井沢会談  96年4月28日(日)、  ゴールデンウィーク初日のにぎわいに紛れるようにして、  軽井沢の鳩山氏の別荘に5名の代議士が集まった。  鳩山兄弟、船田元、園田博之、高見裕一、そして私である。  新党の政策的な調整の議論をする予定だった。  さきがけの幹部の園田氏参加した。  鳩山さんを中心とした新党の動きが一挙に加速するような気配もあった。  船田氏は、鳩山氏と協議を重ねある程度つめた政策要綱のペーパーを  用意してきていた。  これをみんなに配布して議論しようとしたが、  この件では初めて顔を合わせる人もあって結局詰めた話には至らず、  情報交換程度の話で終わってしまった。 (2) スターグループと実務者グループ  鳩山新党の話題がマスコミに出るようになってからずいぶん時間がたつ。  しかし、依然として足踏み状態が続いていた。  このままでは、新党論議自体が消滅してしまう。  鳩山由紀夫という政治家の評価も失墜してしまう。  そんな危機感がじょじょに高まっていた。  6月4日(火)、鳩山由紀夫氏、園田博之氏、  そしてインサイダー編集長の高野孟氏の3人が会食した。  1時間くらい遅れて私も加わった。  話題は自然と新党推進のための戦線立て直し策に絞られていった。  そして言うならば、新党結成の顔とも言うべきスターグループと  裏方の実務者グループの二つに分けて新党づくりを推進していくこと、  双方の連絡調整を園田氏が受け持つことなど話がまとまっていった。  スターグループは鳩山兄弟、横路氏、海江田氏、赤松氏等であり、  実務者グループは、さきがけから五十嵐文彦氏と私、  市民リーグから牧野聖修氏、  社民党からはリベラル96の大畠章宏氏、  創志会の輿石東氏が参加することになった。   そして何回か集まって協議をしたが、  社民側との温度差があって結局十分な政策論議になる前に、  実務者グループの作業は中断してしまった。   (3) 足踏みの理由    鳩山新党の動きが進まない。  その理由はいろいろあった。  第一には、  再三触れたように「社さ丸ごと」新党を考える武村路線と、  新進党や市民リーグからの参加を幅広く考えたい鳩山路線の調整が、  党内で暗礁に乗り上げていたことである。  武村氏も、鳩山氏も、  もちろん「さきがけ」の分裂を意図していたわけではない。  さきがけに人一倍の誇りを持ち、  さきがけの仲間たちへの限りない友情を感じていたのは  みな同じである。  分裂など絶対避けたいと双方とも思っていた。  しかし、新党についての路線も簡単に妥協できるものではなかった。    さらに6月になって、  新進党の船田氏は、新党の組織について  「武村排除」ともとれるような発言をし始めていた。  これが武村氏周辺をかなり刺激し、  社さ新党論によけい固執するようにしてしまった。  第二には、  鳩山新党の野党路線への抵抗があった。  自社さ連立政権としてさきがけは田中経済企画庁長官と  菅厚生大臣の二人を出していた。  そして新党結成後の路線も、  行政改革を断行することを条件として、  与党のスタンスで行くべきであるとの考えを持っている議員も  意外に多かった。  しかし、鳩山氏自身も私も自社さの連立政権を引き続きつづけることについては  多いに疑問を感じるようになっていた。  私は、連立を解消し野党の立場を明らかにした新党を結成すべきだ  と考えていた。  以下は連立離脱の決意の高まりを「耐え難い断層」と表現した  マンデーレポートである。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜                 マンデーレポート第256回 (96/6/10) 【耐え難い断層】 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●先週は、大蔵省改革問題、民訴法改正問題、NPO法案の取り扱いについて  それぞれ大詰めの議論がなされた。  そしていづれも与党3党での意見調整が困難なことを実感した。 ●以上のテーマに共通しているのは旧来型の日本のシステムの改革と  言うことである。  そしてこの改革の共通の目的が市民主体の  政治・経済・社会の確立であることから  私はこれらの問題に共通して流れるテーマは「新市民革命」だと考えている。 ●この3テーマの与党内での調整が先週行われたが、  それぞれの価値観の違いを痛感した。そして耐え難い断層を感じた。 1) 大蔵省改革:住専問題の国民の理解をえる実質条件が大蔵改革だったはず。    しかし、大蔵省の周到な根回しの結果、自社ともに後退してしまった。    そんななかでさきがけは孤軍奮闘、   ★金融6部局を明記した上で「機構改革」に踏み込まねばならない   ★「金融」と「財政」の分離こそ最大のポイント   ★方向性を決定するのは次期通常国会の前まで、      等のポイントをようやく押し込んだ。    しかしそれでも、文章修正のレベルで官僚たちの執拗にして    巧妙な書き換えがなされようとしている。    それを見て見ぬふりをしている政党は許されない。 2) 民訴法改正:文書提出命令の対象を拡大・一般化した点は残しつつ、    秘密公文書の取り扱いについては、情報公開法と整合性をもたせて    改正することで先送り。    法務委員会で修正可決した。    議論の過程で、    さきがけはこの問題を統治機構の根幹にかかわる最重要課題と把握、    頑強に修正を主張、    しかし、自社とも消極的。結局さきがけの主張は通らなかった。 3) NPO法:自民と社・さの調整がつかなかった。    市民団体を信頼せず、法人格を悪用することだけを危惧し、    また政治的発言を最小限に押さえ込みたい自民党との間では、   そもそも基本的な価値観が違うことを痛感。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  このような状況の中で、鳩山新党は足踏みが続く。  8月5日、園田氏が私の議員会館の部屋を訪ねてきた。  「最近鳩山さんはなにを考えているんだろう。   ちょっと野党発言が目立ちすぎるんだよなー」  と疑問を投げかけてきた。  調整役としての強力なバックアップを期待した園田氏だったが、  党内での動きはとても困難になっているようであった。 (4) コアグループ結成(目白会議)  園田氏が来訪した8月5日の夜、鳩山新党の新しい進展を示す二つの会合がもたれた。  一つは北関東の社さの代議士グループが意見交換のために全員集まったことである。  さきがけからは私、五十嵐、枝野の三名、そして社民党からは、大畠章宏、小林守、  細川律雄の三名、であった。    その後さらに目白のホテルの1室で極秘のうちに重要な会議が開催された。  万難を廃して新党結成をやり遂げようとする決意が固まった七名が  ようやく一堂に会したのである。  出席者は、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、横路孝弘、赤松広隆、       海江田万里、大畠章宏、そして簗瀬進の合計七名であった。  今まで、鳩山氏が努力をして呼びかけてきた党派を超えた議員たちが、  ようやく横断的に結び会ったのである。  中核メンバーがようやく固まり、お互いの意思確認ができた。  鳩山氏を核とした放射状の人間関係が、ようやく一つの集団となろうとする瞬間であった。  これによって鳩山新党の動きは一気にスピードアップする。  これ以後この7名のことをコアグループと言ったり  7人委員会と言ったりするが正式名称を決めたわけではない。  ゆっくりと名前を考える時間はなかったのである。   (5) コアグループ第2回会議(軽井沢会談)  8月17日の深夜軽井沢のホテルにおいて第2回目のコアメンバー会議が開かれた。  まず鳩山由紀夫氏から前日の16日に行われたさきがけの幹部との  話し合いの経過が報告された。  園田・菅の両氏(田中氏はすでに帰っていていなかった)から  以下の4項目の提案があったが、返事は留保する、  10日くらい考慮期間がほしいと答えて帰ってきた旨の報告であった。 一、新党は行政改革を当面優先課題とし、総選挙後に行政改革の政権樹立に先導的役割    を果たすものであること。 二、さきがけの主張と人材を重視し、理念と基本政策を重視すること。 三、具体的方策やスケジュールは、武村、鳩山合意案を基本とすること。 四、8月末までに武村、鳩山合意案をまとめ、全党一致の行動によって新党結成の準備を   全力で進めること。  この内容をみんなで検討した。  私は特に第1項について意見を述べた。  「行政改革政権」は橋本政権のキャッチフレーズでもあった。   とすると第1項は、自社さ連立政権の維持を前提にした提案である。   われわれは自民党と協力するための新党を作ろうとしているのか。   そうではないはずである。   さらに、4項によって「全党一致」ということになると、   結局市民リーグも新進党からも新党への参加はなくなってしまう。   結果的に「社さ」だけの新党になるのは見えている。   この提案は賛成できかねる、   と発言した。   参加者全員が同様の意見を述べた。   そしてその後今後の具体的な行動日程の検討や、   政策面での調整、事務的な役割分担を検討することとなり、   政策面でのとりまとめ責任者として簗瀬進、   事務的なとりまとめとして海江田万里がそれぞれ指名された。   そして今後のスケジュールとして、      9月10日前後に鳩山氏が先行離党し、   そして一人一人が各自判断して結集する方式で新党を結成する   との大筋が決定された。   しかし、このスケジュールは武村氏周辺からの   軽井沢会談のリーク問題や鳩山氏のいわゆる「排除の論理」問題で   大幅に前倒しになってしまうのである。     なお船田氏については、   先の目白、今回の軽井沢のいづれも連絡したが欠席であったこと、   本人から「地元との調整に難航している、もう少し時間がほしい」との   ファックスが来ている旨、鳩山氏から報告された。 (6) 麻布十番の秘密事務所  いよいよ新党結成が秒読み状況に入った。  政策面での最終とりまとめをしなければならないし、  そのうえで結党時の基本理念、基本政策の案分を確定しておかなければならない。  政策づくりは、私がとりまとめ責任者となったが  もちろん私一人で手に負える話ではない。  政策に精通した「政策づくりチーム」を編成することになった。  そして、税制面や大蔵省改革等の行政改革は五十嵐文彦氏、  経済政策等は海江田万里氏、  福祉政策や地方のあり方等については参議院議員の峰崎直樹氏  そして栃木一区選出の小林守氏がメンバーとなり、  丁々発止のブレーンストーミングをしながら、  基本理念と基本政策をまとめていくことになった。  そしてこのチームには、インサイダーの高野孟氏も加わり、  新党結成の歴史的意義や安全保障政策等につき奥深い示唆を与えてくれた。    この作業を極秘のうちに続けるために、  麻布十番に秘密事務所を借りることになった。  麻布十番は私も何度も歩いたことのある東京でも好きな町の一つである。  さりげないオシャレな店がある。  しかし、全体的には、レストランの気取った感じより、  庶民的な風情の店が多い。  そば屋、焼き肉屋、中華料理屋等の名店もある。  十番温泉という有名な公衆浴場もある。  そんな雰囲気の町の一角、お酒屋さんの持ビルの3階のワンフロア、  10坪あまりを八月中旬に新党準備事務所として借り、  秘密の作業が始まった。  そんなわけで、麻布十番事務所が新党準備の総司令室に  なっていくのである。 (7) 武村排除の論理の真相  8月25日のサンデープロジェクトで鳩山氏は  「武村さんにはご遠慮願いたいと申し上げるつもりです。」と発言した。  マスコミは一斉に「排除の論理」はけしからんと鳩山批判を始めた。  創立メンバーを中心にして、さきがけの態度は急速に硬化する。    しかし、政治においては排除の論理はつきものである。  問題は排除の理由が非合理的な理由か合理的な理由によるものであるかだと思う。  政治は理念、哲学、信念、政策を明らかにしての峻別の営みである。  そこに責任と倫理が生まれる。  武村氏の標榜する新党論と鳩山氏の考えが合わなければ、  最終的には行動をともにするわけには行かないのである。  表現の巧拙は置くとして、  鳩山氏は「峻別の論理」を言ったのでしかない。  これを若干情緒的なにおいのする「排除」=仲間外れ、  弱いものいじめ的な言葉にすり替えたのは、  かなり意地悪な報道であったと思う。    しかし「ご遠慮願いたい」という表現にも曲解の種がありそうである。   広辞苑で【遠慮】を引いてみると、  第2義として「人に対して言語・行動を控え目にすること。」  第3義として「公けの秩序を考えて出勤・謁見・祝い事などをさしひかえること」  とある。  「人に対して控える」にしても「公のためにさしひかえる」にしても、  遠慮するほうが低く、遠慮させるほうが高い、  といったニュアンスがかすかに感じられる。  丁寧で言ったつもりがかえって高飛車に聞こえてしまったのかも知れない。  言葉というものはじつに恐ろしいものである。 (8) 菅さんの去就  政策責任者に指名された私は、  さきがけの中で政策に精通し  しかも鳩山氏と行動をともにする決意を固めていた五十嵐文彦氏とともに、   麻布十番の新党準備室でつめきりの政策調整の仕事にかかっていた。  8月26日午後10時ころ、  十番の事務所には鳩山氏も入り、  明日の武村さんとの会談にどのような対応で望むか等の話をしていた。  話題は菅氏が最終的に鳩山新党に加わってくれるかどうかに及んだ。    鳩山・菅両氏は新党問題については常に意見を交わしながらやってきた。  しかし、さきがけの内部での意見の対立が激しくなるにつれて、  さきがけの分裂を回避する方向で努力していた。  さきがけの三期生を中心とした、若い割には質の高い人材が、   分裂によって弱体化することをとても恐れていたのである。  ただ、さらにつきつめて、それでも鳩山氏が単独離党したらどうするかと  聞くと、リベラル東京をローカルパーティーとしてやって行くしかないかなと答えた。  菅氏の表現による「東京たこつぼ論」である。  この答えを聞いて私はこれは状況次第だなと感じた。  話題が菅氏の動向に及んだところで、  鳩山氏が菅さんに連絡を取ってみようと気軽に言った。  軽井沢での会談でも分裂回避を最優先課題としていた菅氏である。  果たして来るであろうか。  ところが案に相違して菅氏はすぐやってきた。  そして入ってくるなり  「鳩山さん、だから言ったじゃないかテレビには気をつけろって」と  いきなり大きな声で叫んだ。  それから三十分くらい、いろいろなことを話した上で菅氏は帰った。  その場にいた者は  一様に菅氏の鳩山新党参加への強い感触を感じたと思う。 (9) 武村・鳩山会談決裂    8月27日そして28日、  新党さきがけの本部において武村・鳩山会談が行われました。  結果は予測の通り双方の主張は平行線でした。  特に27日にはさきがけの一期生が知恵を絞って作られた打開案が  鳩山氏に提示されました。  「鳩山単独離党。鳩山のみで理念政策を作成し呼びかけ。   新党参加を各自判断。」  と言った内容であり、  それなりに双方の立場を配慮したものであった。  鳩山氏個人はこの提案を即座に了承する。  28日午前9時すぎ、この一期生提案をコアメンバーに伝えて  了承をとるために、急いで国会図書館の会議室にメンバーが集まった。  もちろんよろしいということになり、  武村氏との会談に臨むが、武村氏はこの提案を断った。  歩み寄りは困難であった。  そこで午後4時すぎ両氏ともに記者会見を行い  会談の決裂そしてさきがけの分裂は確定的になった。 (10) 離党そして新党結成    さきがけ離党から新党結成までを時系列的に追ってみた。 ●8月30日   午後2時に、鳩山由紀夫氏がさきがけ離党届けを提出し、1時間遅れて  午後3時 私は、五十嵐氏とともに井出正一代表予定者に対し、  離党届けを提出した。  10人の仲間と自民党を離党し、  苦労しながら作っていった政党がさきがけである。  「さきがけ」は私が提案した名称でもある。  シンボルマークも、私の依頼により宇都宮のデザイナー関根氏が作成したものである。  さきがけは、政治に目覚める大切な機会を私に与えてくれた。  そのさきがけを離党するのである。  そして離党届を渡す相手は、自民党河本派以来の愛すべき先輩井出さんである。  正直つらかった。  しかし、自民党離党の時とはずいぶん違う心持ちであった。  あのときは自民党に絶望しての訣別であった。  しかし、今回は違う。  さきがけに誇りを持ち、さきがけの理念をさらに発展拡大するための  脱皮でしかない、やがて一緒の道を歩く時が必ず来る。  そんな気持ちであった。 以下は離党の声明である。   新党さきがけ創立議員の一人として結党以来3年余、  苦楽を共にしたさきがけを離党することは大変残念でありますが、今後は鳩山由紀夫氏    と行動をともにし、今わが国のみならず全世界を覆おうとしている政治の閉塞状況を打  破するために全力を尽くしていきたいと考えます。   この間の数々の御無礼にもかかわらず示された、  常に変わらぬ先輩同僚諸兄の暖かい友情に心から感謝し、道は違えども最も近くにいる     同憂の志としてのご指導ご鞭撻をお願いし、あわせて新党さきがけの御発展をお祈りし  て、離党声明と致します。            平成八年八月三十日                        衆議院議員   簗瀬 進         ●9月3日 第1回政策協議。(ラフォーレ東京)   ●9月8、9日 第2回政策協議:新党の基本政策について合宿。(イースト21)  第1回の議論を踏まえて、8日、9日泊まりがけで議論した。  私は、政策面でのとりまとめ担当者として、会議の議長役を務めた。  最終的に、13本の柱が立ち、内容的には参加者のおおかたの合意が得られた。  以下のように整理された。   ☆新党のための基本政策   1 新党の基本理念   2 新党の基本政策    (構成) 0) 歴史認識        1) 市民中心型社会への転換        2) 共生型福祉社会の確立        3) 地方分権・行財政改革        4) 経済構造改革        5) 創造的情報市民社会の構築        6) 環境創造型社会の形成        7) 子供の視点に立った教育改革の実現        8) 外交・安全保障・沖縄        9) 新しい政治の確立と展開  ☆ 合宿の結果上記0から9の10本柱にさらに        10) 女性        11) 税制        12) 人権    の3つが付加され、13の基本政策の内容がほぼ固まった。  ●7、8、9日 鳩山・菅の連続協議      厚生大臣として欧州視察していた菅さんは7日に帰国した。  そして直ちに、鳩山氏と政策協議に入った。  視察中にも、国際電話で緊密なやりとりをしていたこともあって、  政策協議はスムーズに進んだ。  鳩山氏は協議の場と、麻布十番の新党準備室を往復しながら、  政策スタッフの私や五十嵐氏、海江田氏と緊密な相談を行った。  3日連続で行われた協議により、最終的に菅氏の合流が確定し、  新党はさらに大きな力を得ることとなった。  この協議のなかで、設立委員会方式や、  鳩・菅の共同代表、  党名は「民主党」等が決定された。  設立委員会の呼びかけ人も鳩山兄弟、菅直人、岡崎トミ子の4名と決まった。 ●10日午前2時。  たった今、麻布十番の新党準備室(酒屋さんの3階)から戻って来ました。  連日、新党の理念や基本政策の詰めを行い、コアメンバーの会議を行い、  そして深夜の鳩山さんを囲んだ戦略会議を続けています。    鳩山さんは、ヨーロッパから戻った菅さんと、  3日連続の会議を終え、今日は午前0時すぎに戻ってきました。  昨日よりも1時間ほど早めでした。  直ちに報告を聞き、善後策を協議しました。  麻布10番の路上で、記者に囲まれている鳩山さんをしりめに見て、  今赤坂宿舎に帰ってきました。          (第268回マンデーレポートから 96/9/10)             ●10、11日   呼びかけ人による11日の共同アピールの内容について  最終的なつめの議論が行われました。  この議論には、政策担当者として鳩山側から簗瀬と五十嵐ふみひこ、  菅側で前原誠司、枝野幸男の両名が参加しました。(全日空ホテル) ●11日 呼びかけ人による以下のような新党結成アピールが行われた。   ◎ 「民主党設立委員会」結成の呼びかけ    1.われわれは、友愛の精神と市民リベラリズムの政治理念の下で、      行政の質的改革、民主導の政治への転換により、      21世紀の日本に自立した個人を基盤とする豊かな市民社会を      創造することをめざし、「未来に責任をもつ政治」を志す全ての人々に      結集を呼びかける。      その第1段階として、「民主党設立委員会」を結成する。    2.われわれは、次期総選挙後に行政改革、財政再建、経済改革を      断行するための強力な政権の樹立をめざす。    3.設立委員会は個人参加とする。    4.正式な地方組織のあり方については、選挙後に検討する。      5.遅くとも衆院解散後1週間以内に新党を結成し、      設立委員会は民主党に移行する。    6.設立委員会段階では、参加者の政党の所属は問わないが、      民主党結成後は、2重党籍を認めない。    7.現政権に対する評価は、参加者個人の自主的判断にゆだねる。          1996年9月11日                  呼びかけ人  岡崎 トミ子    菅 直人                         鳩山 邦夫     鳩山 由紀夫 ●17日 「民主党」設立委員会発足。  現職議員は37名が参加した。  解散までの意思決定機関として11名の幹事会が設置され私も幹事に選任された。 ●18日 第1回の選挙対策小委員会が開催されました。  そこで選対本部長の鳩山邦夫氏から提起された公認基準を検討し、  10項目の基準を決定した。    *1 民主党の政策理念に合致した人であること。    *2 2010年の未来への責任を全うできる人であること。    *3 現職も新人も基本的には対等あること。    *4 現職の先行特権はないこと。    *5 過去の新党の動きに積極的に参加してきたこと。     *6 社会的に批判されるような経歴がないこと。    *7 行政改革、財政改革、社会構造改革等に、「命も惜しまず、名も惜しまず」過去・      現在・未来ともに取り組む決意をもっていること。    *8 女性の立候補については特段の配慮をすること。    *9 専門職等の個性を持っている方についての配慮。   *10 他党からの推薦・支持よりも独自候補擁立に努力すること。  ●22日 民主党設立委員会・結成記念大会 開催。                (ホテルオークラ) ・民主党の基本政策を発表し、第1次公認候補を発表した。  総数79名(内訳 現職 40名  元職・新人 39人                     女性     7名)    ・私も栃木1区の公認候補となった。 ●28日 衆議院解散 ●29日 民主党結党大会 開催。 (教育会館) ・私は政策委員長に任命された。