第3 民主党の政策
3 基本理念
3 基本理念
民主党の基本理念は以下のような2部構成をとっている。
(1)はその要約であり、
(2)は本文である。
民主党が、鳩山・菅という新しいタイプの政治家を先頭に押し立て、
既成政党の枠組みを大きく破り、
「未来からの颯爽とした風とならん」とする気迫が込められた内容である。
(1) 基本理念の要約
― 「 自立と共生の市民中心社会を求めて 」 ―
1 政官業癒着の利権政治と決別して、自立した市民の政治的ネットワークをつくりあげ、
未来への責任をまっとうする。
2 明治以来の官僚主導の国家中心型社会を根本的に転換し、友愛の精神を基本として、
個の自立と他との共生の原理に立つ市民中心型社会を築く。
3 2010年にあるべき世界と日本の姿を大胆に想定し、そのビジョンに向かって時限
を定めて着実に現状を変革する。
4 日本国憲法の平和理念を尊重し、時代の要請に応じた見直しの努力も傾け、その積極
的展開をはかる。
5 確かな歴史認識を基本に、冷戦後の世界とアジアに向かってはっきりとしたメッセー
ジを発して、誰からも信頼される国にする。
6 経済成長至上主義を脱して、自然との共生と世界との調和を重視した活力ある安定的
で持続可能な成長を実現し、ゆとりある都市・生活空間を創造する。
(2) 民主党の基本理念(本文)
私たちがいまここに結集を呼びかけるのは、従来の意味における「党」ではない。
二十世紀の残り四年間と二十一世紀の最初の十年間を通じて、
この国の社会構造を根本的に変革していくことをめざして行動することを決意した、
戦後生まれ・戦後育ちの世代を中心として老壮青のバランスを配慮した、
未来志向の政治的ネットワークである。
《社会構造の百年目の大転換》
明治国家以来の、欧米に追いつき追い越せという単線的な目標に人々を駆り立ててきた、
官僚主導による「強制と保護の上からの民主主義」と、
そのための中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システムは、
すでに歴史的役割を終えた。
それに代わって、市民主体による「自立と共生の下からの民主主義」と、
そのための多極分散・水平協働型の「市民中心社会」を築き上げなければならない。
今までの百年間が終わったにもかかわらず、
次の百年間はまだ始まっていない。
そこに、政治、社会、経済、外交のすべてが行き詰まって
出口を見いだせないかのような閉塞感の根源がある。
三年間の連立時代の経験を通じてすでに明らかなように、
この「百年目の大転換」を成し遂げる力は、
過去の官僚依存の利権政治や自主性を欠いた冷戦思考を引きずった既成政党と
その亜流からは生まれてこない。
いま必要なことは、
すでに人口の七割を超えた戦後世代を中心とする市民の持つ
創造的なエネルギーを思い切って解き放ち、
その問題意識や関心に応じて
地域・全国・世界の各レベルの政策決定に参画しながら
実行を監視し保証していくような、
地球市民的な意識と行動のスタイルを広げていくことである。
政治の対象としての「国民」は、
何年かに一度の選挙で投票するだけだった。
しかし、政治の主体としての「市民」は、
自分たちがよりよく生きるために、
そして子供たちに少しでもましな未来を遺すために、
自ら情報を求め、知恵を働かせ、別の選択肢を提唱し、
いくばくかの労力とお金を割いてその実現のために行動し、
公共的な価値の創造に携わるのであって、
投票はその行動のごく一部でしかない。
私たちが作ろうとする新しい結集は、
そのような行動する市民に知的・政策的イニシアティブを提供し、
合意の形成と立法化を助け、行動の先頭に立つような、
市民の日常的な生活用具の一つである。
《2010年からの政策的発想》
私たちは、過去の延長線上で物事を考えようとする惰性を断って、今
から十五年後、二〇一〇年にこの国のかたちを
どうしたいかに思いをめぐらせるところから出発したい。
するとそこでは、小さな中央政府・国会と大きな権限を持った
効率的な地方政府による「地方分権・地域主権国家」が実現し、
そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と将来にツケを回さない
財政・医療・年金制度を両立させていく新しい展望が開かれているだろう。
経済成長至上主義のもとでの
大量生産・大量消費・大量廃棄の産業構造と生活スタイル、
旧来型の公共投資による乱開発は影をひそめて、
技術創造型のベンチャー企業はじめ「ものづくりの知恵」を蓄えた
中小企業や自立的農業者、
それにNPOや協同組合などの市民セクターが生き生きと活動する
「共生型・資源循環型の市場経済」が発展して、
持続可能な成長とそのもとでの安定した雇用が可能になっているだろう。
国の都合に子供をはめ込む硬直化し画一化した国民教育は克服され、
子供を地域社会で包み込んで自由で多様な個性を発揮させながら
共同体の一員としての友愛精神を養うような
市民教育が始まっているだろう。
そして外交の場面では、
憲法の平和的理念と事実に基づいた歴史認識を基本に、
これまでの過剰な対米依存を脱して日米関係を新しい次元で
深化させていくと同時に、
アジア・太平洋の多国間外交を重視し、
北東アジアの一角にしっかりと位置を占めて信頼を集めるような
国になっていなければならない。
私たちは、そのようなあるべき未来の名において
現在を批判し、当面の問題を解決する。
そしてたぶん二〇一〇年までにそれらの目標を達成して
世代的な責任を果たし、さらなる改革を次のもっと若い世代に
委ねることになるだろう。
私たちは、未来から現在に向かって吹きつける、颯爽たる一陣の風でありたい。
《友愛精神にもとづく自立と共生の原理》
私たちがこれからの社会の根底に据えたいと思っているのは「友愛」の精神である。
自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は「出る釘は打たれる」式の
悪平等に堕落しかねない。
その両者の行き過ぎを克服するのが友愛であるけれども、
それはこれまでの百年間はあまりに軽視されてきた。
二十世紀までの近代国家は、人々を国民として動員することに急で、
そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか
扱わなかったからである。
実際、これまでの世界を動かしてきた二大思想である
資本主義的自由主義と社会主義的平等主義は、
一見きびしく対立してきたようでありながら、
じつは人間を一山いくらで計れるような顔のない
大衆(マス)としてしか扱わなかったことでは共通していた。
日本独特の官僚主導による資本主義的平等主義ともいうべきシステムも、
その点では例外でなかった。
私たちは、一人一人の人間は限りなく多様な個性を持った、
かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利を持ち、
またその選択の結果に責任を負う義務があるという「個の自立」の原理と同時に、
そのようなお互いの自立性と異質性を尊重しあった上で、
なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという「他との共生」の原理を重視したい。
そのような自立と共生の原理は、
日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、
日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなければならない。
西欧キリスト教文明のなかで育まれてきた友愛の概念は、
神を愛するがゆえに隣人を愛し、敵をも愛するという、
神との関わりにおいて人間社会のあり方を指し示すもので、
そこでは人間と自然の関係は考慮に入っていない。
しかし東洋の知恵が教えるところでは、
人間はもともと自然の一部であって、一本の樹木と一匹の動物も一人の人間も、
同じようにかけがえのない存在であり、
そう感じることで自然と人間のあいだにも深い交流が成り立ちうる。
そのように、自然への畏怖と命へのいつくしみとを土台にして、
その自然の一部である人間同士の関係も律していこうとするところに、
必ずしも西欧の借り物でない東洋的な友愛の精神がある。
《「一人一政策」を持って結集を》
私たちの政治のスタイルも、
当然、未来の社会のあり方を先取りしたものになる。
中央集権的な上意下達型の組織政党はすでに問題解決の能力を失って
二十世紀の遺物と化している。
私たちは、各個人やグループが自立した思考を保ちながら、
横に情報ネットワークを張りめぐらせ、誰かが課題を発見して
解決策を提示すればそこに共感する人々が集まって結節点が生まれ、
問題が解決すればまた元に戻っていくような、
人体における免疫システムのような有機的な自立と共助の組織をめざしている。
したがってまた、この結集にあたっても、
後に述べるようにいくつかの中心政策を共有するけれども、
それは時の経過と参加者の幅によって常に変化を遂げていくはずだし、
また細部に立ち入れば意見の違いがあるのは当然だという前提に立つ。
意見の違いこそが創造的な議論の発端であり、
それぞれが知的イニシアティブを競い合うことで
新しい合意を作り上げていくそのプロセスを大事にしたい。
また私たちは、社会に向かって開かれたこの政治的ネットワークの運営に当たって、
電子的な情報通信手段をおおいに活用したい。
私たちは電子的民主主義の最初の世代であり、地球市民の世代である。
この「党」は市民の党である。
今から二十一世紀の最初の十年間を通じて、
この「百年目の大転換」を担おうとする覚悟を持つすべての個人のみなさんが、
「私はこれをやりたい」という
「一人一政策」を添えて、
この結集に加わって下さるよう呼びかける。